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2009年04月16日(Thu)

「技術の目利き力とは何か」と題して、今年の2月より日経Tech-On上にケンブリッジ大学滞在記を連載しました。それが4月7日をもって完結しました。この連載は、下記でご覧になることができます。

第1回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090213/165600/
第2回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090223/166161/
第3回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090302/166576/
第4回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090310/166954/
第5回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090323/167563/
第6回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090323/167563/
第7回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090331/168047/
第8回:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090407/168450/
山口栄一は、3月20日にケンブリッジ大学から同志社大学に帰ってきました。このBlogがケンブリッジ大学便りの最終回です。


Mixiに完全版があります。。(友人のみ公開にしてますのでマイミク登録してください)。この日記は、Mixi日記からの抜粋版です。


3月01日日−02日月 イギリス348−349日目。エーサンがお別れ会をしてくれる。



 3月01日日曜日。どんより曇り。ついに帰国の月に入った。きょうは、エーサン(Athan)がお別れ会をしてくれるというので、Loch Fyneに出かけた。フィッツウィリアム博物館のすぐ前。スコットランドの魚料理。
彼はASHコロキアムで私が話をしたときの聴衆の一人(ケンブリッジで博士号をとり現在、特許弁護士事務所のトレイニー)で、私にほれ込んでくれ、それ以来なかよくするようになった。いろいろ聞くと、じつは奥さんのRuy(中国人)とともに会社を創ったという。起業家になる辛さや喜びなど、教えてほしい、という。私は、3つの会社の起業物語を話し、とくに3番目のALGAN社のTH社長のことを語って聞かせた。彼らの各技術は、ケンブリッジ大学で博士号を取る際にテーマにした特殊なカーボンファイバー技術だという。3人でブレインストーミングをした。私としてはカバンに入る自転車を作ってほしいと思う。シンクレアの話をしてあげた。

 3月02日月曜日。みごとな空。快晴。きょうは、ISISの今後をどうするかを相談するために、東芝ケンブリッジに行き、佐田さんとアレックスと共に議論をした。写真中央は、議論を終えてトリニティセンターに昼食に行った帰りの写真。サイエンスパークの中に、こんなにきれいな場所があるのを初めて知った。帰ってくるなり、アンディがやってきた。そこで、MapInfoのさらなる使い方を教授。


3月03日火−04日水 イギリス350−351日目。たぶん最後のフォーマル・ディナー。



 3月03日火曜日。良い天気。暖かい。昼はカレッジで食事(ローストビーフ)。ところが昼過ぎに熱が出始めた。寝なくちゃと思っていたら、アンディがやってくる。昨日、彼にMapInfoの使い方を教えた時に、自分でMapInfoを使える環境が絶対に必要なのと、日本を分析するには日本語ソフトが絶対必要(日本の社会構造にかんする統計データは、日本語版しかない。日本の社会科学は、ほんとにドメスティックです)だということが分かったので、彼に私のコンピュータを上げることにした。パナソニックCF-Y4。それから統計局とMapInfoのデータベース(かつて総額1000万円で買ったもの)も上げる。
彼が帰ったあと寝込んだ。

 3月04日水曜日。良い天気。暖かい。きょうも朝、熱があったので、午前中寝込んでしまった。昼過ぎに何とか起き出し、いくつかの懸案を解決するために街に出た。
まずは車。この車、2750ポンドで買ったあと、タイヤを全部交換したりオイルとオイルフィルターなどを新品に換えたりして、858ポンドを費やした。5月までに娘に売ってもらおうと思うがきちんと整備しておきたい。
右のブレーキランプが切れていたのでディーラーまで行った。しめて5ポンド。
次に引越し用具を買いにグランドアーケードまで行き駐車場に停めたところ、車が動かなくなってしまった。バッテリー上がり。とつぜん来た。ディーラーに行った時にこの症状が出ていればその場でバッテリーを買うだけだったのに、と悔やみながら救急センターに電話。駆けつけ代金200ポンドをカードで支払う(電話をかけていたときにビッグイシュー売りのおじさんが耳をそばだてていた。カード番号を盗まれなかったろうか)。
1時間ほど待ってメカニックの車がやってきた。新品バッテリー購入代112ポンド。というわけで、車にかけたお金はしめて3920ポンド。それでも安かったと思う。
夜は、久しぶりのフォーマル・ディナー(チキン)。エーサンとクラウディアが最後のお別れにいっしょに食べたいという。たいへん豊かな会話だった。Transilientの話をもっぱらする。写真は、フォーマル・ディナーが終わったあと、みんなで撮った写真。



3月05日木−06日金 イギリス352−353日目。最後の講義をNeedham研究所で行なう。



3月5日木曜日。良い天気。終日仕事。そしてついに卒業論文(連載)を(ハウザー氏とのインタビューパートを除いて)書き上げた。夜は、Andyから招待され、セント・ジョンズ・カレッジの向かいにあるフランス料理屋に行く。ラムステーキ。すごく美味かった。

3月6日金曜日。すばらしく良い天気。空気が心地よい。昼食(Ham, leek and mushroom pie)も夕食(Lamb tajine with couscous)もカレッジにて。きょうは、ケンブリッジで最後の講義をNeedham研究所で行なった(通算5回目)。ニーダム研究所は、科学史の研究機関で科学史家ばかりがいるところなので、私も科学史風の話をすることにした。題名は、Rethinking innovation and the Japanese way of science and technology。終わったあと、招待してくれた副所長格のJohn Moffetに誘われて、パブHat Featherへ。

さて、今回はイギリスの自動車のナンバー・プレートの話題。(ちなみに、ナンバー・プレートはイギリス英語。ライセンス・プレートはアメリカ英語だそうです)。
私の車のナンバー(写真左)は、S522 ADP。これを見ただけで何年式でさらにその年の前期か後期かまでわかる。答えは、98年前期式。
暗号解読の名人の方々。いかがでしょうか。
答えはこうです。
頭のアルファベットがQとRだと97年式(それぞれ前期、後期)。SとTだと98年式(それぞれ前期、後期)。UとVだと99年式。WとXだと2000年式だそうだ。(96年以前も同様)。
ところが2001年から方法が変わったらしい。頭の2つのアルファベットが陸運局の場所を示す。そして次の1桁目が0か5で、0だと前期、1だと後期。そして次の1桁目が年式をあらわす。ちなみに写真右は、2001年後期式。


3月07日土 イギリス354日目。クレアホールで娘のコンサート。



 3月7日土曜日。曇りだが、明るい日。きょうは、教え子の一人YK君が遊びに来た。彼は船井総研に勤めていたが、そこを辞めてイギリスに留学し、ビジネススクールに入るためのプレスクールに通っているとのこと。12時にケンブリッジ駅まで迎えに行ってあげ、ケンブリッジを案内した。写真左は、トリニティカレッジでニュートンとともに。
 夜は、クレアホールに住んでいる音楽好きたちによるコンサートがあった。写真右は、演奏した面々。一番左のArjanと娘以外は、みなアマチュア。
 娘は2曲演奏し、どちらもたいへん良い出来だった。ところが、他の面々はレベルが3つくらいちがう。始終間違えるし、ピアノの場合は、指がついていかないし。日本でいうと小学校低学年くらいのレベルか。たとえば右から3番目のおじさん(名前を忘れた)は、途中でつっかかってしまい頭を抱え込んだ。また右から4番目のローマ出身の大学院生は、12年のキャリアがあるそうなのですけど、暗譜で取り組んだものの、最初の曲はモーツァルトの練習曲。ショパンのノクターンで引っかかってしまってシドロモドロ。コンサートだと分かっているのだから、しっかり練習しておいで。
 もしかしたら、たぶん練習をかさねてこの程度なのかもしれない。つまり外人(お箸を使えない人々)は、要するに下手くそなのだということがよく分かった。
 コンサートを終えてから、娘のために集まってくれた人々とともに、韓国料理のLittle Seoulへ。ここは、従業員がてきぱきしていて日本のように「使える」人々ばかりなので、みていて気持ちがいい。
 実際イギリスの労働者というのは、日本に連れてきても、8割以上「使えない」と思う。一方、日本の労働者は、イギリスレベルの「使えない」人が2割以下しかいない。これは、もしかしたら日本の一番のすごさである。これは重要な気づき。


3月08日日―09日月 イギリス355−356日目。オクスフォードのシャープ研究所へ行く。



 3月08日日曜日。曇りのち雨のちひょう。昼、そばを食べてから、オクスフォードに向けて出発。9月のISISの際に、佐田さんから「ぜひシャープ・オクスフォード研究所に連れて行ってください」と頼まれていて快諾したのに、まだ果たせていない。そこで何とかシャープの湯浅さんにメールを送って許可をいただいたのである。
 ついでに、12日に行なうお別れ会で、みんなに差し上げるものを買いに、オクスフォード北の郊外にあるBicester Villageに立ち寄った。何の変哲もないアウトレット・モールなのだけど、ものすごい人でごった返している。日本とちがって娯楽施設が少ないせいだろう。ウェッジウッドのキャベツ型の陶器を2個とシャンペン抜き器を2個買う。イギリスは当然ラッピングしてくれない。ともあれプレゼントなので袋を2つ要求したら、店の太ったお兄ちゃん、ダメという。彼、日本では使いものにならない。(要するに、「察する」とか「思いやる」ということができないんですね。小さいころの家庭での教育ってほんと大事。日本人ってすごい)。
 夕方5時ころ、街のど真ん中にあるRandolph Hotelにチェックイン。日本食を探したが皆無。しかたなく中華料理で済ませた。

 3月09日月曜日。すばらしい晴れの天気。すがすがしい。朝早くぜひ、ハリーポッターを撮影したクライストチャーチカレッジの食堂を見学に行っておこうと、散歩に出かける。(街中で佐田さんとばったり出会う)。写真中央がクライストチャーチカレッジ。そして写真右が、その食堂。ここでハリーポッターが撮影されたという。しかし、ケンブリッジのトリニティカレッジやクイーンズカレッジのほうが荘厳だと思った。シャンデリアがない。映画ではあったので、あれはCGだったのでしょう。
 正午にシャープ・オクスフォード研究所に着いた。社員食堂で、湯浅さん、佐田さんとともに食事をいただき、見学させていただいた。


3月10日火 イギリス357日目。コッツウォルズのバイブリーに寄ってケンブリッジへ。



 きのう、オクスフォードまで来たので、少しだけ足を伸ばして、コッツウォルズのバイブリーという所まで来てみた。そしてバイブリー・コート・ホテル(Bibury Court Hotel)に泊まった。イギリス最後の贅沢だ。(写真左)
 写真右は、散歩をしている途中の風景。ここは、National Trustによる保護区。たしかに、ほんとに落ち着く街並みだ。ただFor Saleという家が何件かあったり、屋根に穴が開いて、いかにも誰も住んでない家も点在していた。歩いていると、大型バスが止まり日本人ツアー客が下りてきた。日本では相当有名のようだ。
12時少し前にここを発って、一路ケンブリッジへ。途中もう一度オクスフォードに寄ってから4時過ぎにケンブリッジに到着した。

では、イギリス最後の感想の第一弾。
イギリスとは何かと問われたら、何と答えるか。
そう問われたら、私は「他者にトラップされない自己の自由」の希求ではなかろうか、と答えよう。
たとえばリバプールの奴隷博物館を例に挙げよう。ここに入ると、まず「彼らは、我々が売られ買われたことを覚えているだろう。しかし我々が強く勇敢だったことを覚えてはいないだろう」(ウィリアム・プレスコット=元奴隷 1937年)と大きく書かれたレリーフが目に飛び込んでくる。そして展示では、イギリス人たちがアフリカまで行って、無辜(むこ)のアフリカ人を社会から引き剥がすように拉致誘拐し、そして新大陸に移住したイギリス人たちに家畜として売ったことを、淡々と描いてある。つまりここでは、謝罪も感傷もすることなく、イギリス人がなした絶対悪をきちんと語ることを通じて「他者にトラップされない自己の自由」を希求しているのである。
 ひるがえって日本には、たとえば平和記念館や戦災資料館はあっても、公立の戦争博物館は存在しない。「戦争」という言葉をタブー視するということは、取りも直さず「自己の自由が他者にトラップされている」ということを意味する。タブー視して語れないから、廬溝橋の抗日戦争記念館に掲げられた中国人戦死者数が年を追って増えるという奇妙な事態が起きるのだろう。

 イギリス人の知慧は深い。その知慧の深さは、ヨーロッパの辺境国として戦いに明け暮れ他国との交渉を何百年にもわたって積み重ねて生き延びてきた老練さからやってくる。とりわけそれは、虚構としてのイデオロギーと、狂気としてのパトリオティズム(愛国心)と、そして一切のタブーとから脱却し、「他者からのトラップ」から解放されることでやってくるように私には思われる。こうして得られる「自己の自由」の感覚は、いったん獲得するとこの国の4月のようにすがすがしい。


3月11日水−15日日 イギリス358−362日目。みんながお別れ会をしてくれる。



 3月11日水曜日。良い天気。風が強い。いよいよ梱包作業で忙しくなる。3時に、Teraview社へ。あつしさんと会う。夕食は、YSさんも合流してHotel du vin Bistroで。ウサギを食べた。

 3月12日木曜日。曇り。寒い。東工大のSFさんが来る。11時にCrowne Plazaで待ち合わせ(何と1泊130ポンドとたいへん安かったとのこと)。ほどなくあつしさんも来たので、3人でBrownsに昼食を食べに行った。夜は、お別れ会をみんながしてくれた。写真左。真ん中の男の子は、Szimon。Jarek(左から4人目)とMagda(左から3人目)の子供だ。集まってくれた人々には、ある特徴がある。

 3月13日金曜日。曇り。寒い。情報通信研究機構のMNさんが来る。10時にSFさんともCrowne Plazaで待ち合わせし、お二人を観光にお連れした。

 3月14日土曜日。良い天気。暖かい。お昼は、地理学博士課程のSSさんがLittle Seoulでお別れ会をしてくれた。本を何冊かと乾物物をさしあげる。彼女は、来年度からクレアホールに無事移ることができたそう。夜は、Aiping MuとVolker Willeのご夫妻がお別れ会をしてくれた。本格的中華料理に大感激。


3月16日月−19日木 イギリス363−366日目=最終回です。ご愛読ありがとうございました。



 3月12日月曜日。とてもよい天気。きょうはJETROの江口さん、渡辺さん、そして経済省の要田さんがいらっしゃる。Phoenixで昼食を取った。別れたあと銀行に行き、「使えない」銀行=Barclays銀行のほうを解約する。当座預金と普通預金の2枚のバンクカードを出したら、なんと本人認証なしに銀行口座をシャットダウン。現金を受け取るときにおざなりのサインを要求するだけ。しかも明細を要求したら、「もう銀行口座を閉じたので出せない」。やれやれ、やっぱり、この銀行は日本ではやってけない。(イギリスだからやっていけるのだ)。
 そして4時に、アンジェス・ヨーロッパの代表の平崎さんがいらっしゃる。キングスカレッジまで散歩をしながら、街中に行き、アフタヌーン・ティーをした。

 3月13日火曜日。またまたとてもよい天気。きょうは朝、ディーラーに行きMOT(いわゆる車検です)のために車をそこに置き、ロンドンへ。阿倍野でランチを食べたあと、ハロッズと三越に免税処置のために出向いた。とくに何も買うことなくケンブリッジに取って返し、車を引き上げる。なんとかこれで車を売る準備が整った。(車は娘に売ってもらうことにした。)

 3月14日水曜日。またまた良い天気。引越しのためにヤマト運輸が10時にやってくる。写真左は運び出す前。それから部屋を徹底的にきれいにしたあと、カレッジで最後の昼食を取り、それから最後の花見に出かけた。写真右は、この日記の最初に登場したセントメリー教会の庭のしだれ桜。町中に桜が咲いている。ということは、京都や東京より積算温度が高いということだ。これは不思議。クレアカレッジの庭のみごとな桜は、まだ咲いてなかった。

 3月15日木曜日。朝霧が立ち込めている。いよいよケンブリッジを離れる。鍵をポーターに返し娘とともに娘のボーイフレンドのアレックスの家まで行ってから、3人でヒースロー空港へ。午後2時15分発のBA007便に乗って成田へ。

 いよいよ最終回だし、この前はイギリスの良いところを書いたので、この最終回では、イギリスのだめなところを書いておこう。
 イギリスのだめなところは、労働力の質に尽きる。労働力人口の8割が「使えない」人たちだ。つまり日本に連れてきても、使いものにならないということだ。日本では、使えない人口は2割以下なので、この差は大きい。
 なぜ使えないのか。これは、小さいころからのしつけによっている。たとえばZoeさんやアレックスは、しつけが良くできていて他者をリスペクトする無意識を有しているが、8割の人はそれを持ってない。また、職場ごとに使えない人はまとまっているところを見ると、職場での規律も影響しているようだ。たとえばバークレー銀行は、全員が使えない。ロイズ銀行は7割程度が使える。またアフリカ系やポーランド系、ギリシア系、トルコ系の人は使えるが、イギリス人は使えない率が高い。これは、家庭のしつけに加えて、学校でどれだけ他者の心を汲む立場にあったかに寄っているのか。
 
 そのようなわけで、この日本の大チャンスのなかで、日本の労働力の質の高さを最大の長所としてビジネスを展開していくべきだと思う。みなさん。しょんぼりしている暇はない。
赤字を補填するために、労働者の首を切るなんて、最低の経営だ。むしろ攻めて出る。とくにちゃんとした労働者のいないヨーロッパに攻めていく。その気構えが必要だ。

 それから、労働経済学で国際比較データを使うことがよくあるけれども、これは信頼してはならないことを思い知った。そもそもスケールの基準(物理学でいうゲージ)がちがうのだ。つまりしつけができている日本の労働者の平均値は、ヨーロッパの労働者のexcellentレベルに等しい。また分布も狭い。まずはゲージあわせをしてからでないと、国際比較はまったく意味を持たない。
 
 ほんとに、現場に入らないと見えないことを良く見聞きした1年間だった。日本は均質社会だからだめだとか、みんな内向きだからだめだとかよく言うけれど、ちょっと発想を変えて世界から日本を見てみると、ヨーロッパやアメリカからみれば日本くらい異質でしかも高質なガラパゴス社会はありません。これは、強みです。内向きになっている暇なんかない。まずは世界を回遊すること。みなさんへの贈る言葉です。

 御愛読ありがとうございました。(シベリア上空にて)

2009年03月02日(Mon)

Mixiに完全版があります。(友人のみ公開にしてますのでマイミク登録してください)。この日記は、Mixi日記からの抜粋版です。



2月3日火 イギリス322日目。Teraview社を再訪問。実験の前打ち合わせをする。




昨日の大雪とは打って変わって、すばらしい快晴。朝、娘を車で送って行き、そのままSt. Jones Innovation ParkにあるTeraview社へ。7ヶ月ぶりにDon Arnone社長に会う。京都の知人がテラヘルツ領域でのスペクトル実験を頼んできたので、私が代わりに出向き細かい実験の打ち合わせをした。
それから、あまりにも良いお天気だったので、卒業論文に使う写真を取りに回った(アマデウス社、ARM社、サイエンスパークなど)。写真左は、サイエンスパークのパノラマ版。
昼食(エール・パイ)も夕食(ピタパンに七面鳥を入れたもの)も、カレッジにて。夜8時から、マグダによるASHトークに参加する。題目は「文学とIntersubjectivity」。小説にはいろいろと思い入れがある人が多く、かなりシビアな質問がたくさん出た。

さて、昨日の大雪の日記にかけなかったことを記しておく。
帰り道に文系学部がたくさんあるSidgwick siteのよこを通ったら、バリケード封鎖がされていて、中に入れないようになっていた。警官に聞いても、何も教えてくれない(このへんが、日本とちがいます)。写真右のように、中国系の女性警官が警戒にあたっていて何だろうと思った。実際に、ここの法学部は数週間前からGaza空襲に抗議する学生たちが立てこもっていたので、てっきりそれの延長だと思った。ただし、それにしてはバリケード内にいるのが全員中国人だったので、変だった。
ところが、じつは私が立ち去ったすぐあと、中国の恩家宝(Wen Jiabao)首相がここに来て講演をしたとのこと。ちっとも知らなかった。夜、大学のホームページを見ていると、Alison Richard学長(Vice Chancellor)が「聴衆の一人が、講演者に対して敬意を払うのを怠ったことに深く遺憾の意を表明する。大学は熟考された議論とディベートの場であって靴を投げる場ではない」
("I deeply regret that a single member of the audience this afternoon failed to show the respect for our speaker that is customary at Cambridge. This university is a place for considered argument and debate, not for shoe-throwing.")
と書いてあったので、靴投げ事件があったんだと思った。
どうも、ドイツ人の学生が「独裁者は出て行け」と怒鳴りながら靴を投げたらしい。ちゃんと現場を見ておけば良かったのだが、実際に外では、人権擁護をめざして多数のヨーロッパ人によるデモがあったらしい。(と同時に、中国人学生は歓迎の旗を振っていたらしい) 
奇妙なことにきょうのBBCのニュースでは、歓迎の旗をふる中国人学生しか写さなかった。イギリスも、日本と同じで、中国にはへりくだっているようだ。(もっともイギリス人は、「日本人って、いつもぺこぺこと中国人に謝りつづけているよね」と言うのだが)。
日本では、どの程度、報道されたんでしょうね。



2月4日水 イギリス323日目。Churchill Collegeのフォーマルディナー&ふたたび大雪が降る。




 2月4日水曜日。きょうも朝からたいへん良い天気。しかし朝から執筆を始めたら、すっかり根が生えてしまってけっきょく終日書いていた。昼食は、つけうどん。
 夕食は、曽我教授(ケンブリッジ大学にたった一人いる日本人教授)に誘われて、Churchill Collegeのフォーマル・ディナーに出かけた。なんと、こちらは黒いガウンを着る。前々から記念に1着買っておこうと思っていたが、間に合わなかった。しかたなく私は背広で出席。前菜が鮭。メインが鳥(Fowl)。デザートがプリン。たいへん美味しかった。
 
 さて、写真右は、1月21日に撮影した「のぼり」。街のあちこちにケンブリッジ大学創立800周年を祝うこの「のぼり」が立っていて、そこに年代が記されている。ずっと何だったか分からなかったのだが、大学のホームページに載っていた。参考までに記しておきます。

1209 ケンブリッジ大学が創立する
1381 百姓一揆(The Peasant’s Revolt)。市長に率いられた暴徒がコーパス・クリスティ・カレッジを襲撃。
1446 キングス・カレッジの創立者ヘンリー6世が、チャペルの礎石を置く。
1584 ケンブリッジ・ユニバーシティ・プレス(世界最古の印刷会社)が活動を開始する。
1687 アイザック・ニュートンが「プリンキピア」を出版する。
1787 ワーズワースがセント・ジョンズ・カレッジに入り、最初の詩を出版する。
1859 チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を出版する。
1988 スティーブン・ホーキングが「時間の歴史」を出版する。
2009 創立800周年記念



2月9日月 イギリス328日目。TTP会長のGeraldと2回目のインタビュー。



2月9日月曜日。朝からしとしと雨。午前中はTTP会長のGeraldと2回目のインタビュー。この人は日本人みたいにはにかみ屋さんで気さくでとても話しやすい。昼はふたたびごんぶとうどん。昼、娘を迎えに行った後、家で執筆の続きをしていたらアンディ君がやってきたのでMapInfoの使い方をレクチャーしてあげた。夜は、娘がつくってくれたパスタ。



2月17日火 イギリス336日目。Keltieで講演。



 2月17日火曜日。曇り。きょうは、Keltieという特許弁護士(Patent Attorny)事務所で依頼された講演をするため、ロンドンへ。約1時間半かけて「中村裁判と特許法35条」について話をした(タイトルは、Innovation Theory and Lawsuit on Blue LED)。その後、社長のDavid Keltie, DirectorのDudley Hawkins, そしてキャベンディッシュ出身でここに勤めているClaudia Duffyとともに遅い昼食をとった。私が食べたのはSpring何とか。これは南アフリカの鹿らしい。たいへん美味しい。
 その夜は、Conduit Ventures (ベンチャーキャピタル)の野村YoshiさんとジャーナリストのEric PrideauxさんとそしてVodka9さんが私の歓送会をしてくれた。まずはHammersmithのパブで。それからBaker Streetの「なんぶ亭」で。このなんぶ亭。はじめて訪れたがすごく美味しかった。
 さて、写真左は、KeltieのあるFleet Place。ロンドンなのに超近代的。駅はCity Thames Link。
 写真右は、ロンドン・ライブラリーでの最初の登録のときの画面。ずいぶん前に登録した時にずっと気になっていたので、きょうは登録者のふりをして写真をとってきた。こんな風に、人種を聞く欄があるんです。今のところ人種を聞かれる経験をしたのは、こことあとGP(General Practitioner)、要するにホームドクター。拡大してみるとわかるように日本人の場合、当てはまるのがありません。そこで堂々と、Otherを選ぶ。選んだあとは何だか宇宙人になった気分。


Mixiに完全版があります。(友人のみ公開にしてますのでマイミク登録してください)。この日記は、Mixi日記からの抜粋版です。



1月13日火 イギリス300−301日目。 300日記念! 最終セミナーを行なった。


1月13日火曜日。気温は5度くらい(暖かくなってきた)。晴れのち雨のち曇り。昼食はカレッジにて焼きそば(中華料理はいつも甘すぎ)。夕食は私の好きなミントソースのラムステーキ。
きょうは、夜8時からASHコロキウムで、私の最終セミナーを行なった。タイトルは、「Rethinking Innovation: How high-tech industries can recover their competitiveness in the UK」。約30人のクレアホール・メンバー(主としてVisiting Fellow)が集まってくれた。1時間のトークのあと1時間ほどいろんな議論をした。たいへん楽しかった。

ところで、ロンドンのサイエンス・ミュージアムでおもしろい特設展をやっていた。写真左に示すように Japan Car という展示だ。8ポンド払って中に入ってみると最近の、ユニークなデザインの日本車を展示してあった。写真右は、ダイハツのコペンの分解。
ここでは、日本車の技術に焦点があたっているのではなく、あくまでデザインあるいはAisthesis的スタイル(生き方も含めて)に焦点があたっている。これは、じつは文明論の観点から、たいへんおもしろい現象だと思う。

村上陽一郎さんの「文明の中の科学」の84ページから89ページにみごとに書いてあるように、日本という国は、今までその文化を文明にまでついぞ仕立て上げたことのない国だった。「文明」は普遍性をもつと同時にブルドーザー効果(相手をねじふせて自分に同化させる攻撃性)をもつものだ。「日本人には顔がない」と言われたり、「日本文化にはアイデンティティがない」と言われてきたのは、もとより日本文化が文明になろうと一度もしたことがないのだから、当然の話なのだ。
工業製品は、なにより文化的価値のなかでは「便利さや品質の安定」など副次的な価値をもつ産物だからこそ、日本製品はヨーロッパにも受け入れられてきた。
ところが、デザインやスタイルなど車のアイデンティティそのものは、ひとつの固有の文化である。これが他の文化に向かって主張をしはじめたということを、このサイエンスミュージアムの展示は意味している。日本文化がそろそろ文明的な(普遍的な)価値を持ち始めたのかもしれない。そういえば、トヨタiQやダイハツコペンや三菱iなどは、Leapを感じさせるスタイルをもっている。



1月15日木 イギリス303日目。 Humphreys教授のところで講演。



 1月15日木曜日。曇り。Department of Material Scienceで、ケンブリッジでただひとり窒化物半導体を研究しているコリン・ハンフリーによばれて、彼の研究室で講義をした。講義のあと、彼のチームメンバーと昼食。はじめてユニバーシティセンターの2階にある高級レストランで食べた(ラザニア)。ここ、たいへん美味しい。次回、みなさんが訪ねてくれたらぜひここで食事をしましょう。ところで、このコリンという可愛らしい名前。イギリスではよく見かける。コリン星を思い出してしまう。夕食は、娘の手料理(てんぷら)。

 写真は、2枚とも1月13日のASHコロキアムにて。写真にしてみると、この赤い部屋というのはたいへんお洒落であることがわかる。写真右に写っている女性は、IfMのエリザベス・ガーンジー教授。Hugh Whittakerさんの元同僚で、来年度、TIMで教えてくれることになったTim Minshallの先生です。(Timの授業はとても楽しいので、博士課程の方は楽しみにしていてください)。



1月18日日—20日水 イギリス306−308日目。日英・国会議員クラブの昼食会に招待される。



 1月18日日曜日。朝からたいへん良い天気。春がやってきたようだ。しかし終日引きこもって仕事。昼食はお茶漬け。夜「Senator Houseでケンブリッジ大学800年祭の催し物を何かやっているよ」との娘の電話で、重い腰を上げて街中で出てみた。すると、写真左と写真右のように、Senator Houseにケンブリッジ大学800年史のさまざまな出来事をプロジェクターで写していた。
これって、なかなかおもしろい試み。ロンドンの地下鉄でもプロジェクターで広告を写していたし、プロジェクターを使って屋外でいろいろな催し物をおこなうベンチャー企業というのがじゅうぶんに成立すると思う。ホームページ業などのインターネット業は、そろそろ勝敗が決まってしまったので、これからは屋外の白壁を利用する商売が目玉になると思う。どなたか、始めてみませんか。

 1月19日月曜日。晴れのち曇り。Needham研究所のJohn Moffetに誘われて、Needham研究所のSueおよびVimalinとともにRobinson Collegeに昼食を食べに行った。このカレッジはその場でお金をはらう形式。ラムシチュー。なかなか美味しかった。終日仕事。あたらしい概念に辿りつきそうなので、ここは本腰を入れて執筆を始める。(まずは日経TechOnからずっと前に頼まれていた連載第2回をがんばって書きたい)。夕食は、娘の手料理のマーボー豆腐。

1月20日火曜日。晴れ。年始の「日英・国会議員クラブ」に招待されたので、朝からロンドンに行く。私を推薦してくれたTTPのVictorとキングス・クロスで待ち合わせ、それからビッグ・ベンへ。厳しいボディ・チェックをなんとかくぐりぬけ、ビッグ・ベンの下にある迎賓用ダイニングルームに行った(ハリーポッター風)。
日本側からの出席者は、海老原駐英大使と大使付き一等書記官数名、駐英企業(三菱商事、三井物産、三井商船などなど)の社長、大学からは私のみ。イギリス側からの出席者は、主としてTTPなどのコンサルタント業の代表者(Victorなど)とMember or Parliament (国会議員)。目の前のMPは、Treasurerというタイトルをつけている人がいる。王室会計局長官か。
「なぜ英国の信号機は、いまだに電球を使っているのですか」と聞いたら、さっぱり分からないと言っていた。となりがVictorだったので、お互いの身の上話をした。たいへん楽しく終わった。夜は、Vimalinと待ち合わせていっしょに帰ってきた。彼女はもうすぐアメリカに帰るので、Harrodsでしこたまクリスタルや陶器を買ったようだ。ケンブリッジに着き、娘も呼んでマイタイでタイ料理。



1月27日火 イギリス315日目。Vimalinのお別れ会をわが家でする。

 
快晴。気温も8度くらいで気持ちのよい1日。昼食はカレッジにて、ポークステーキ。夕食もカレッジにて、カルツォーネ・パイ。
 忙しい1日だった。昼過ぎから、卒業生に贈る言葉の撮影。デジカメに三脚を付け、キングスカレッジに行って撮影。通行人が通るのもものともせず大声でしゃべる。家に帰ってから今度は英語版の撮影。
ついで、ASHトークで私の話に興味を持ってくれた二人の弁理士のクラウディアとエーサン(ともにケンブリッジ大学博士卒)がロンドンからやってきたので面談をしたあとカレッジで一緒に夕食を食べた。2人ともKeltieという有名な特許弁護士事務所に勤務している。常温核融合物語や起業物語、さらには日本文化(漫画)の話までした。エーサンが
「Grave of the Firefliesというアニメを知っているか」と聞く。ああ、火垂るの墓のことだ、と思って、「見た。でもあまりにも悲しくて二度と見られなくなってしまった」と言ったら、えらく興奮して「ぼくもなんだ。最初見たときは涙が止まらなかった。DVDを買ったのに二度と見られない」と言う。ああ、日本のアニメというのは、ガラパゴス化していないし、あのような米軍による大空襲の物語がヨーロッパでは共感をもって受け入れられているんだ、と思ってかなり感動した。
 夕食が終わったら次にVimalinのお別れ会だ。わが家に帰ると、ちゃんと娘がその準備をしてくれていた。三々五々、Un-Jong、MagdaとJarek、Tomasz一家(奥さんのMonika、長女のAgata, 次女のYagota)、そしてVimalinがわが家に集まる。最後にAndyも駆けつけてくれ、たいへん暖かいお別れ会をすることができた。



1月28日水 イギリス316日目。アデンブルック病院の中の研究室を訪問する。


1月28日終日雨。きょうは昼12時にアデンブルック病院にある研究室を訪問した。キャノンの上里さんに話をしたところ、彼も大変興味を持っていっしょに着いて行きたいという。そこで11時にフィッツウィリアム博物館で待ち合わせをして、私の車で病院に向かった。

こころよくホストになってくれたのは、医学部Brain Physics学科のMarek Czosnyka教授(Reader)。いくつもの関門を通り抜けて研究室に辿りつく。若い衆が5人ほど待っていてくれた。すぐに我々のためだけにセミナーを開いてくれた。エンジニアのDr. Peter Smielewski (Polandから)、やはりエンジニアのMr. Dong Joo Kim (韓国から)、医者のDr. Gianluca Castellani (イタリアから)、そしてMarekの奥さんのZophiaが、つぎつぎにたいへん分かりやすく研究成果を話してくれる。そして驚いたことに、患者のところに行こうという。Gianlucaともう一人のチームメンバーで医者のMr. Christiaan (スイスから)が昏睡状態にある一人の患者さんのところに連れて行ってくれた。脳の状態のモニタリングの仕方や脳圧の制御方法などを細かく説明してくれた。おもしろかったのは血流の状態測定に地震波の測定と同じ原理を使っている点だ。超音波を出して別の場所でそれを受け脳内の血流を調べる。さらにMRIとPETの研究部門にも連れて行ってくれた。

3時間におよぶ歓待を受け、ほんとうに恐縮してしまった。なぜって、Marekとは水曜日のフォーマルディナーで向かい合わせに座っただけの仲。カレッジの威力のすごさを思い知った。
写真左=中央がMarek教授、右がGianluca。写真右=Chirstiann。

おもしろいと思ったのは、GianlucaはDr(ドクター)なのにChiristiaanはMr(ミスター)。二人ともメディカルドクターなのに、である。聞くところによると、MD(メディカルドクター)は、Mrの称号をつけ、PhD(医学博士)をとってはじめてDrの称号をもらえるらしい。
そして感動したのは、やはり科学者・技術者・医者が渾然一体となって研究をしている点。これ、日本では考えられない。そしてすばらしいシステムだと思った。日本は、どうしてこうならないのだろう。オープン・イノベーションのすごさ、すばらしさを体感した1日だった。

2009年01月18日(Sun)

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12月08日月―09日火 イギリス264―265日目。Horison Seminarがある。



12月09日火曜日。快晴。気温は5-8度くらい。あつしさんから教えてもらったHorizon Seminarに出席するため9時ころ家を出てMagdalene CollegeのCripps Courtに出かける。写真左は、行きがけに通りすがったSt. John’s College。まずはMagdalene Collegeに着き、Cripps Courtの場所を事務の人に聞いたら、このカレッジの中ではなくChesterton Laneを東に1000ヤードほど行った左側にある黒い建物とのこと。その通りに行ったものの何もない。しかたなくGEのソフトウェアセンターに入って道を尋ねたら、たいへん親切なエンジニアの一人が彼のオフィスに招きいれてくれて(大部屋だが、居心地がよくすごく働きやすそうな職場。日本もこんな職場にしなくてはだめ)、Googleで調べてくれた。結果は、1000ヤードではなく100ヤードのまちがい。黒ではなく白っぽい建物だった。写真右は、そのCripps Courtのセミナー会場。

このHorizon Seminarというのは、ケンブリッジ大学が主催(Cambridge Enterpriseが共催)して2月ないし3月に一度行なわれるセミナーで、門外漢向けに科学・技術の最前線を知らしめるもの。今回のテーマは、「Materials on the Horizon」つまり未来の物質(材料)。窒化物半導体(Collin Humphreys教授)、カーボンナノチューブ(Alan Windle教授)、ソフト・ナノ構造(Ulrich Steiner教授)などがメインテーマだった。たいへん面白い。とりわけ、Dr Andrea Ferrariによる「カーボン・ナノテクノロジー」という話は、DLCのような良く知られた話からナノテクによる往復運動エンジン(筋肉ですね)やMicrogripper(ナノの大きさのものを掴む電子デバイス)など、たいへんびっくりする話だった。
考えてみれば、こういう機会は日本ではなかなか得られない。帰国したら、ぜひ企画したいと思う。もっとも、日本でこのようなセミナーをやっても、研究者は自分の領域のことしか興味がないので、あまり聴衆が集まらないかな。これは、ちょっとしたチャレンジです。



12月10日水―17日水 イギリス266―274日目。Christmas Feastがある。



技術・革新経営(TIM)専攻(ビジネススクールの博士課程)に、あたらしく数学 ⇒ 物理学 ⇒ ナノサイエンス ⇒ 技術とイノベーション、というひとつの体系的流れをつくることをもくろみ、この2番目の物理学という科目を新たに作りはじめた。(なお数学は高校数IIIそのもので文科系の方がキャッチアップするために設けた.。別の方が受け持ってくれる)
ここでは、科学がどのようにして占星術から誕生し占星術と決別したのかをきちんと描くことで、科学の魂を教えたいと思った。それだけでは科学史・科学哲学の授業になってしまうので、古典力学や熱力学、統計力学や量子力学の中身を、つくった人たちの苦悩をまじえながら、伝えたいと思った。
で、いざつくりはじめてみると、これはたいへん難しい。結局タレスにまでさかのぼって、勉強を始めた。とりあえずアリストテレスまで勉強するのに1週間かかってしまった。しかしまだ1コマめもできない。どうなることやら。

12月10日水曜日。曇り。フォーマルディナー。莉莉さんの友人のVeraさんを迎えに行ってあげる。おなじくロシア出身のNataliaとその夫Jacobとともに話がはずむ。
12月11日木曜日。快晴。日経BPの佐藤さんが、ケンブリッジ特集号をつくる(来年1月発売)とのことで、取材にいらっしゃった。Phoenixで食べる。写真右は、この日撮った写真。パブ・イーグルの前にかけられた説明書き。ワトソンとクリックがこのパブで、DNAの2重らせんのアイデアに行きついたことが書かれている。
12月12日金曜日。快晴。JETRO主催のヨーロッパ研究所長会議に招待され、ロンドンで講演をした。約20名の所長や社長が大集合。JETROのすごさを感じる。夕食は但馬亭。バッテラがとても美味しかった。
12月16日火曜日。莉莉さんがASHセミナーで講演。日本軍が中国の常徳で落としたペスト爆弾によって常徳の村人たちがどのような被害をこうむったか、という内容。司会・オーガナイザーのBob Ackermanが「ドイツは、戦後すべてをさらけだしてみそぎを行ない、すっかり生まれ変わったが、日本はいまだに沈黙をまもってモンスターのままでい続けている」とコメントしていて、困惑した。とりあえず私もコメントを出した。曰く「モンスターは世界中のどこにでもいる。広島・長崎を考えるなら、米軍はモンスターだったし、無辜のアフリカ人を思うなら、イギリスの奴隷商人たちはモンスターだった。大事なことは、被害者の声に耳をすますことだ。広島・長崎の殲滅の生存者の声にもしアメリカ人が耳を傾けるならば、そのときに彼らはモンスターでなくなる。その意味で、莉莉さんの本が日本で出版されたという意義は大きい」。
12月17日水曜日。晴れ。クレアホールでChirstmas Feast が行なわれる。写真右は、そのときの写真。左の男性がクレアホールの学長のSir Martin Harris。中央の女性は、VimalinのゲストのMinou (オランダから)。イギリスでタキシードを着たのは、これで2回目です。メインは、なんと「きじ肉」(Pheasant)。クリスマスにすこし腐らせたきじを食べるのは、イギリスの伝統らしい。



12月18日木―19日金 イギリス275―276日目。莉莉さんのお別れ会。



12月18日木曜日。莉莉さんが、22日に東京に帰るので、わが家でお別れ会をやった。来てくれたのは、Andy, Adrian, Kaushik (CalTechの教授)一家,そして織江さん(写真左)。
12月19日金曜日。「物理学」の講義ノート作成のために必要だったので、オーギュスト・コントとギリスピーの本をコピーしに、ブリティッシュ・ライブラリーに行った(写真右)。ここで調べものをする人のために、使い方を記しておこう。
まず、住所と自分自身を証明するものを2つ以上持っていく。私は、日本のパスポートとイギリスの免許証を持っていった。
入館後、備え付けのコンピューターに、自分の情報を登録すると、順番待ちの番号が出てくる。番号を呼ばれ、係員がいろいろと質問をしたあと、写真を撮られる。ほぼ10秒くらいでカードが出てくる。
このカードを持って、検索用コンピューターのところに行き、所望の本を検索。その場でリクエスト。それから70分くらい待って、司書の列にならぶと、その本がもらえる。
持ち出すことはもちろんできない。また国会図書館とちがって、コピーサービスもない。そこで、セルフのコピー機のところにいってコピー。全体の10パーセントしかコピーできない。1枚たしか40ペンスだったような(超高い)。
 私は、本が出てくるのを待っているあいだ、チャンスリー・レインの伊藤忠社に行き、私に会いたがっていた島村さんとその部下に会っていろいろと相談に乗ったあと但馬亭に昼食を取りに行った。
 ブリティッシュ・ライブラリーの感想。
 ここ、イギリスにしてはとても快適です。まるで日本にいるみたい。たいへん清潔だし、レストランやカフェもファッショナブルだし、すごく居心地がよい。それに、日本の国会図書館とちがって、とても若い人たち(大学生や高校生)が熱心に本を読んでいたのは印象的だった。たしか、カールマルクスはここで資本論を書き上げたんでしたっけ。



12月20日土 イギリス277日目。佐田さん・安藤さん・高島さんと忘年会。



12月20日土曜日。晴れのち曇り。
グランチェスターのOrchardに行き、クロッティド・クリームとスコーンを買って今日の勉強会に備える。
午後4時、東芝の佐田さん、日立の安藤さん、そしてケンブリッジ大学ステムセル研究センター(CSCR)の高島康弘さんが我が家に来てくれた。男だけの勉強会兼忘年会である。
高島さんは、関西ご出身の元内科のお医者さん。研究がしたくて神戸の理化学研究所に行き、そこで5年かけて博士号を取ったあとケンブリッジ大学のオースティン教授の下にやってきたそうだ。いま、もっともホットな研究領域のiPS細胞を研究している。JR福知山線事故のときは大阪の病院勤務だったとのこと。
ひとしきりケンブリッジの現状や研究の中身、プラスティックロジック社やケンブリッジディスプレーテクノロジー社のことをはなしたあと、朝から準備しておいたCotonのクロワッサンをクロッティド・クリームとともに出してあげる。また高島さんには先日東京で買ってきたお餅を一袋さし上げる。

写真左は、昨日午後4時半ころロンドンで撮影したOld Bond Streetの夜景。写真中央は、今日のお昼の12時ころグランチェスターに行く途中で見つけた Grantchester Meadows。ピンクフロイドの同名の曲は、この路地から取ったのですね。写真右は、お昼の1時ころのGrantchester。遠くに街中のカトリック教会の尖塔が見える。




12月21日日 イギリス278日目。技術の目利き力とは何だろうか(第2回)。



12月21日日曜日。晴れ、暖かい(5−10度くらいか?) 午後2時に、CottenhamのBRIDGE FARM RIDING SCHOOLに行く。4度目の乗馬。きょうはぽかぽか陽気なので外乗(hacking)した。
写真左は、出発前の風景。約1時間ほどCottenhamの街中を、ときどきトロットしながら、ぶらぶらと散歩した(写真中央)。きょう乗った馬は、前回と同じDuddler(写真右)。写真だと、スマートに見えるけれど、実際はどでかい牡馬(ぼば)。かみぐせあり。

さて、11月2日の日記で問題提起し、そのままほったらかしにしていた「技術の目利き力とは何だろうか」のことを、いよいよ少しずつ書いて行きたい。
そのためには、明治期のお雇い外人でたいへん長く日本に滞在し、日本人の心をよく理解していたErwin von Bälz(1849 – 1913)の次の言葉がヒントになるような気がする。

私の見るところでは、西洋の科学の起源と本質に関して、日本では、しばしば間違った見方がとられているように思われます。日本の人々は、この科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であり、どこか他の場所へたやすく運んで、そこで仕事をさせることのできる機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの生命なのでありまして、その成長には他のすべての生命と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのです。

日本は、とりわけ物理と化学の分野においてこの西洋の精神的大気をよく学んだと思う。だからこそアジアの国々のなかで特異的にノーベル物理学賞・化学賞を輩出する国になった。
ところが工学の世界のある一部では、この精神的大気を学ぶことなく科学を機械(ツール)だと考える風潮が存続してきたように思う。じつはそこに落とし穴があった。たとえば、物質(Material)というのは、材料(英語だと同じ”Material”)と呼んだとたんに、産業としての目標は明確になるものの、一方でその飛び跳ねるような世界が統制を受け、場合によっては生命を失ってしまう。
そういう意味で、日本が半導体や物質系に限って数多くのパラダイム破壊型イノベーションを生んできたのは、理学と工学とが(つまり「物質」と「材料」とが)バランスよくせめぎあいながら、そこに生命を吹き込んできたからではなかろうか。
さて、ケンブリッジの場合は、元来工学の力が弱く、理学中心で運営がなされてきた。ところが近年、「産学連携」が叫ばれ、理学の人間がとつぜん直接的にその外圧を受けて産業の世界に入門し始めた。彼らは、「物質」の何が「材料」としてのブレークスルーに化けるかをよく理解していない。そこで、日本以上に息苦しい兆候が、このケンブリッジに現れはじめているのではないだろうか。
(第3回に続く)

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11月02日日 イギリス228日目。技術の目利き力とは何だろうか(不定期連載 第1回)。



 きょうは、どんより曇り。ついに冬に突入したようだ。
突然、イギリスが暗くなってしまった。外を歩いていても太陽が低いので、前がぼんやりとしてよく見えない。佐田さんによれば、昨年冬の日照時間は、なんと総計8時間。これから太陽を見ることがあまりないだろう。

 終日仕事。昼は、きのうの残りのデリーのカレー。夜はすきやき丼(意を決して、半熟玉子を食べる)。

 さて、いよいよ(不定期で)「技術の目利き力とは何か」について連載してみたい。
 もともとこの命題に行きついたのは、9月26日に行なわれたケンブリッジ大学工学部IfM(Institute for Manufacturing)主催の技術経営シンポジウムで、プラスティック・ロジック社の存在を知ったときからだった。
 当日、ケンブリッジ大学の教授でプラスティック・ロジック社の創業者・チーフ・サイエンティストのヘニング・シリングハウス氏がまことにみごとな会社の紹介をやってのけた。プラスティックを半導体にしてトランジスタをつくり、それで回路をつくれば自由自在に曲げることのできるディスプレーができる。いわばそれは、電子ペーパーだ。携帯電話だって、くるくると巻いてポケットに収容できる。
 聴衆は、全員彼の話に魅了され、質疑応答の際にはとても好意的な質問やコメントばかりが出た。いつごろ商品ができるのか。はやく手に取りたい。ぜひとも投資したい。

 えっ、いつごろ商品ができるのか、だって? 創立して8年も経ち、すでに150億円もの資本が投下されているのにまだ商品がない? 私は愕然とした。そこで彼に質問した。
「私は、あなた方の技術にたいへん懐疑的だ。物理学者たちは30年以上にわたって有機半導体を研究してきた。たしかに有機物(プラスティック)は半導体になりトランジスタをつくることもできる。だから、しなやかで曲げることのできるディスプレーは原理的には誰でも作れるだろう。しかし作れることと製品とはまったくちがう。製品にするには、プラスティック半導体のもつ2つの本質的な問題点を解決しなくてはならない。一つはモビリティが低すぎてスピードが上がらない点。もう1つは寿命だ。あなた方は、この二つについて何らかのブレークスルーを見つけたのか?」
 会場は、いっせいに怒りの表情で私を見る。シリングハウス氏はちょっときつい口調になり、いろいろと説明を始めた。
「寿命はたいへん長い。モビリティもシリコンと同等以上を達成した。」
 えっ、本当? もし本当なら、ノーベル賞ものだと思うけど? 私は質問を続けた。
「少なくとも、見せていただいた板状の電子ブックであれば、既存のシリコン技術でできると思う。ブレークスルーのありかは、どこにあるのか、きちんと物理学的に説明してほしい」
 彼はさらに当惑しいろいろと説明をするものの、ブレークスルーに関する説明は、結局なかった。
(第2回に続く)。
 
 写真左は、プラスティック・ロジック社のホームページからの抜粋。左が現在、右が将来の社会を描いたもの(右の女性が手にしているのが、彼らの製品イメージ)。写真中央は、ケンブリッジ・サイエンスパークにある最初のプラスティック・ロジック社の社屋。写真右は、同地にある現在の社屋。これら2枚は、昨日撮影した。




11月03日月−08日土 イギリス229−234日目。工学部で講義。


 
 03日月曜日。いま考えていることをまとめるために、朝Waldenbury 公園に行ってほっつき歩いた。寒くてどんより曇り。だれもいない。写真左は、公園の風景。

 05日水曜日。どんより曇り。終日仕事。昼は、地理学の授業で知り合った塩出志乃さん(はじめて見つけたケンブリッジ大学院生)をカレッジに招待した。この11月5日は、例のGuy Fawkesが捕まった日で、各地で花火が行なわれる。ケンブリッジでも、Jesus Greenで花火大会が。

 06日木曜日は、AlexとJudge Business Schoolでミーティング。ひとしきりPlastic Logic社の知識を仕入れた。昼食はJudgeにて。夕食は親子丼。

 07日金曜日は午後、工学部で講義を頼まれた(写真右)。2時から3時まで主として大学4年生向けに講義をする。Humphrey教授のグループのポスドクたちが来てくれて、4時まで彼らと議論をした。そして、夕食は何とAndyがMidsummer Houseですばらしいフランス料理を奢ってくれた。

 08日土曜日は、久しぶりに朝から良い天気(ところが夜は冬の嵐となる)。わが家でお茶会をする。以下の方々が参集してくださった。

Liliさん=東京女子大の教授(中国人)。専門は社会人類学。
Unjunさん=ソウル大学の教授(韓国人)。専門は法哲学。
Andyくん=大学院生(台湾人)。専門は経済地理学。
Takaoさん=元慶応教授の松村さん(日本人)。専門は歴史(元の専門は経済学)。
Shinoさん=大学院生(日本人)。専門は社会地理学。
Vimalinさん=デラウェア大学の助教授(タイ系アメリカ人)。専門は建築史。

 さて、この週は町中の人々が、胸にポピーを飾っている。これは、第1次世界大戦(1918年11月に終結)の戦死者を弔うためでその寄付金は戦争未亡人に捧げられるという。聞くところによると、イギリスでは「大戦」といえば、第2次世界大戦ではなく未曾有の消耗戦となった第1次世界大戦をさすそうだ。いまも、朝からテレビで、ロンドンをあげて行なわれている第1次世界大戦終戦記念のフェスティバルの様子を放映している。ここでは、第2次大戦・イラク戦争での戦死者も弔っているほか、第1次世界大戦でイギリスのために戦った日本の戦没者にも哀悼の意をささげている。(日本では、日露戦争や第1次世界大戦の戦死者を、国が弔う儀式をしませんね。)
 祖国のために命を捧げた人に最大の敬意を捧げるというのは、見ていて気持ちが洗われる。



11月09日日−14日金 イギリス235−240日目。Jetroの会議に出席。



 10日月曜日。終日仕事。夕食に日立ケンブリッジ研究所の安藤さんと半村さんを招待。(リゾット) プラスティックロジック社のことやHenning Sirringhaus氏のことなどを伺う。(この結果は、また改めて書きます)。聞くところによると、安藤さんは日立ケンブリッジで有機半導体研究を率いるためにいらっしゃったとのこと。現在のDavid Williamsと二頭体制とのことだ。

 11日火曜日。終日仕事。じつはこの日がGreat War (第1次大戦のことをイギリスではこのように呼ぶ)の終戦記念日。昼も夕もカレッジにて。夕食(妙なパスタ)を食べていると、となりにすわったJarek(ポーランドから。文学)が「じつは、きょうはポーランドの独立記念日なんだ。いっしょに祝ってくれないか」と言い出した。まわりにいたUnjun(韓国)、Peter(南アフリカ)、Nicola(ドイツ)みな賛同して5人で10時近くまでワインを飲んだ。

 14日金曜日。きょうは、ロンドンでJetro主催の「Invest Japan」という会議に出席した。会議がはじまるまですこし時間があったので、ケンジントン公園の北側を歩いていると、馬小屋のにおいが。なんだろうと思ってそちらのほうに行ってみると、なんとStable(馬小屋)がある!(写真左) Hyde Park Riding Schoolとのこと。街のど真ん中。しかも回りは住宅街。さすがロンドンです。さっそくこの2階のショップに行った。なにしろ、私の頭は64cmと超特大でヘルメット系は合うサイズのがないんですね。乗馬の本場ロンドンならきっとRiding Hatが売っているだろうと思ったら、最大が63cm。しかたなくこれを買う。(メーカーでこのサイズまでしか作ってないとのこと。がっくり)

 Jetroの会議は、EmbankmentのちかくのSavoyで行なわれた。なかなかおしゃれな会議場(写真右)。写真の右から3番目がコンランショップ(丸ビルに入っているデザイングッズの店)の創業者コンランさん。

2008年11月11日(Tue)

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10月02日木 イギリス197日目。ロンドンのImperial Collegeに出張。



 朝はどんより曇っていてかすかに小雪がぱらついたものの、快晴に転ずる。気温は10度強くらい(夜は5度くらい)。

 きょうは、ロンドンのインペリアル・カレッジに出張した。サウスケンジントンから歩いて5分。ロイヤルアルバートホールの南側、サイエンスミュージアムの西側にある。
 前ここに来たのが、1993年ころだったと思う。まだ御存命だったStradling教授を訪ねてきたものだった。そのころはとてもしょぼい大学で、研究室もたいへん狭く汚かったのを覚えている。
 しかし、経済発展というのは恐ろしいもので、イギリスの16年に及ぶ超好景気の恩恵をこうむって、みごとにリノベーションされていた。
 まず、写真左は、はいってすぐのベッセマー・ホール。バイオエンジニアリングの研究棟だ。ちょっと驚いたのは、この地面のレベルが、じつは3階。この下に1階と2階が隠れていて、じつはこれが昔からある校舎。写真右が、見覚えある昔ながらの校舎だ。つまり昔の校舎を壊すことなくそれを「土壌の下」にしてしまって、その上に、新しい校舎を建てたというわけ。
 中もたいへん美しく、みごとな実験室となっている。

 東京工大の大学院からこちらに留学してきているTKさんに話を伺うと、研究室の一人当たりの面積も、こちらのほうが圧倒的に広いとか。日本の大学の設備は、アメリカ並みになったのかと思っていたら、まったくそんなことはないようだ。日本の大学院教育、先生はともかく設備だけでもきちんとしてもらわなくては。日本、大丈夫なのだろうか。

 昼食は、三越でTKさんに美味しいものを食べてもらい、それから日本大使館に行って免許証の法定翻訳をお願いしてきた。9日にできあがるということで、また取りに来なければならない。



10月04日土 イギリス199日目。Visiting Fellow同士で、Grantchesterに行く。



 
 きょうは、曇り空。天気予報によれば雨のはずだった。気温は10度くらい。どんどん寒くなる。
 Liliさんの誘いで、11時半に集まってみんなでGrantchesterに散歩しようということになった。写真左は、グランチェスターのOrchardにて。左から、Javier (スペインから、歴史学者)、Un Jun(韓国から、法哲学者)、Ann(テキサスから、生物学者)、Anga (アニヤ、デンマークから、歴史学者)。Liliさん(東京女子大から、文化人類学者)が写真を撮ってくれている。みんなで、昼食とスコーンを食べながら、とりわけ東アジアの政治的安定について語りあった。

 帰りは、Annさんにすっかりつかまり、歩きながら彼女の話をずっと聞かされた。(ときどき、きつい口調で、Are you listening? 聞いてる? がはいる。あわてて「聞いてる、聞いてる」という)。
いささか、とんでも科学者系で、脳の活動を量子力学から解きたいという。「それは、ブライアン・ジョセフソンがとても興味を持っているよ」と言うと、「それは良いことを聞いた」。彼女は、あすロンドン経由でテキサスに帰国する。

 夕方、慶応大学からライフメンバーとしてこちらに1ヶ月間滞在しているAO教授から電話がかかってきて、「LANをつなげてほしい。クレアホールのITマネジャーに言っても、ずっとなしのつぶてでたいへん困っている」とのこと。さっそく彼女の部屋に行って、IPアドレスを設定してきてあげた。

 この3日間で急に寒くなり、写真右にしめすようにWest Courtのツタも真っ赤に色づいた。(わが家は、この穴があいたところから入った奥)。



10月05日日 イギリス200日目。200日記念日。なのに、スイスへ。


 
 きょうは、朝から大雨。イギリス滞在200日記念日に、国際会議(IWN2008, International Workshop on Nitride Semiconductors)に出席するため、イギリスを脱出し、スイスのモントルー(Montreux)に行く。

 雨の中を、朝9時ころ車でLuton空港に向かった。自家用車でLutonに行くのは、はじめて。で、Naviにしたがって走らせていたら、1時間くらいで難なく着いてしまった。Long Stay の駐車場に入れる(1日12.5ポンド。8日夕刻に帰ってくるので、4日間駐車ということで50ポンド=1万円)。巡回バスに乗って空港に着いたのが、10時半。
朝飯を空港のカフェで食べ、スイスフランを買って(175.44ポンド→300スイスフラン)、ひたすら空港で待機。13時15分発ジュネーブ行きのEasyJetに乗り込んだ。

 約2時間のフライトでジュネーブに到着(時差が1時間あるので、午後4時半)。スイスは、晴れていた。写真左は、着陸寸前に撮影したレマン湖(西から東の方向)。レマン湖の左側(北側湖畔)に見える都市は、ローザンヌ。14年前、南フランスに住んでいたころ、リヒテンシュタインからの帰りがけに家族でローザンヌで1泊し、湖畔道路を通って、この写真のどんづまりのブーべ(Vevey)、モントルー、そしてそのさらに奥のシオン城に寄ってから、モンブラン・トンネルを抜けて帰ってきたっけ。
学会は、そのモントルーで行なわれるので、ジュネーブ空港で切符を買い(32スイスフラン)、空港に乗り入れている5時27分発の列車に乗った。ジュネーブからモントルーまでは、ちょっとした湖畔観光だ。右手にレマン湖が広がり、その奥にフランスアルプスが美しく見える。それにフランス語圏なので、なんだかリラックス(ちょっとなまったフランス語)。
6時半ころローザンヌを通過、7時ころモントルーに到着。写真中央は、モントルー駅。そこからスーツケースをがらがらと引っ張って、徒歩10分でホテル(Hotel Eden Palace)に着いた。



10月06日月 イギリス201日目。モントルーでの国際会議、初日。



 国際会議 IWN 2008 ( http://iwn2008.epfl.ch/ ) の初日。朝は昨夜の夕食のマックバーガーの残りを食べ(節約、節約!)、8時45分に出かけた。10分程度で会場にたどりつく。写真左が国際会議場で、手前のホールがマイルスデイビス・ホール(Mのマークが!)。

 6時半に終わり、何人かで食事に行くことになった。写真右は、左があつしさん(元NEC)、そして右が主著者のTSさん。写真を撮ってくれているのがUCサンタバーバラから来たHMさん。湖畔のイタリア料理屋で食べる。その美味しいこと、美味しいこと。スイスは、やっぱり美味しい。「イギリスも美味しいよ」と言っても、だれも鼻にもかけてくれなかった。

 きょう1日で、知ったこと。
(1) フランス在住時代に仲の良かったCNRSソフィア・アンティポリスの所長のPierre Gibart が、つい3ヶ月前に心臓発作で亡くなった。享年68歳。彼はP社を我々がつくったのと同じ年にCNRSを辞め、P社と同じ仕事内容の会社Lumilog社をつくって、その会長をしていた。
(2) そのことを教えてくれたのが、私たちのとなりのとなりで発表していた、CNRSのJean-Yves Duboz (現所長)。彼らは、なんとA社が取り組もうとしているX線センサーを発表していた。先を越されていた。我々の発表と同じ内容のこともやっていて、技術的には肉薄している。
(3) このような最先端技術は、圧倒的に日本が強い。ヨーロッパ開催にも関わらず参加者数630人のうち115人が日本人。米国人が80人。ドイツ人が78人。…
(4) 学会というのは、最強のマーケティング・ツールである。発表によって尊敬を集め、情報の集約核となることができる。しかも昨今ではノウハウをまったく伝えることなく、結果をアピールできるので、まえもって特許を出願さえしておけば、コストを費やすことなく極めて効果的にPRができる。オリンピック選手のゼッケンに企業名を書き込むより圧倒的に安価かつ衝撃的にブランドの構築が可能。

 というわけで、企業が学会活動を縮小させるのは、まったくの逆効果。バンケットがネットワーク構築の要で、かつヨーロッパではパーティに配偶者(ないし彼女)を連れてこないのはマナー違反なので、日本企業は、むしろ最大効用をもつマーケティングのためにも奥さん(ないし彼女)の飛行機代を出しても奥さん(ないし彼女)の同伴を奨励すべきだ。(なお、私は自費でお金が続かないので、バンケットの前日に帰ります。)
 


10月07日火 イギリス202日目。モントルーでの国際会議、2日目。



 国際会議(IWN2008)も2日目が終わった。明日イギリスに帰る。
 きょうは、朝食抜きで会議場に行き、夜までそこで会議を聞いていた。昼飯は、会場で提供される。夕飯は、F社のAUさん、産総研のTSさんとともにたいへん高級なフランス料理をいただく(エスカルゴとラム)。

 写真左は、朝のモントルー。泊まったホテルはこの左のほうにある。写真右は、湖畔道路の中央にあるFreddie Mercuryの像。


10月08日水 イギリス203日目。ノーベル物理学賞 日本人3人受賞。



モントルーのホテルで会議の報告を書いたあと、10時半ころホテルを出て10時54分の列車に乗り、ジュネーブ空港に向かった。12時ちょうどに到着。カフェに入りパニーニとカプチーノをいただきながら、4時のチェックインまで、カフェでメールを書いて過ごす。4時間も自由時間があるのだから昔ならジュネーブ観光などをしたものだ。ところがまったくその気にならない。歳をとったものだ。EasyJetの飛行機は5時にジュネーブを発って5時45分(時差1時間)にロンドン・ルトンに着いた。
写真左は、機内からの写真。なんとこのジェット機、ロンドン中心の真上を右に左に遊覧飛行した。写真を拡大してみてください。左の公園がリージェンツ・パーク。中央の公園がハイドパーク。写真のほぼ中央、テムズ川の川岸に観覧車が見える。これがロンドン・アイ。よく見ると、ビッグベンとウェストミンスター寺院も見える。
写真右は、ルトン空港に着いたところ。ロンドンは快晴でおだやかな日だった。カフェでサンドイッチとカプチーノを買って、駐車場まで無料バスで行き、そこから自家用車で自宅まで帰る。到着時刻午後7時半。
 
思えば、物理の国際会議に出席して発表するのは、10年ぶりだった。そして、きのうの夕刻、懇意にしている三重大学のKHさんから、ノーベル物理学賞が3人とも日本人だった(南部さん、小林さん、益川さん)ということを知らされた。私たちの分野ではない素粒子論の世界なので、縁遠いけれど、南部さんは学生時代に一生懸命その理論を勉強したことがあって、やっとノーベル賞をお取りになったのだと思った。そして増川さんの京都産業大学はたいへんな騒ぎになっていることだろう。不思議なことに、国際会議場では日本人は何となく鼻高々になっていた。

日本人ではじめてノーベル賞を取った湯川さんが偉大だったのは、物理学の新しい流れを作った(素粒子論の創始者。湯川さんの発表のあと、ニールス・ボーアは「もうこれ以上、われわれに新粒子は要らない」と苦言を呈したくらい)こと以上に、戦後日本を勇気づけたことだと思う。人間も社会も同じで、自信がないと何にも成就しない。彼は、すべてだめの烙印を押されてしまった戦後日本の若人を発奮させたのだった。
よくお会いする堀場雅夫さん(堀場製作所の創業者)は、湯川さんの直弟子だ。(もっとも、堀場さんたち学生一同は、湯川さんの講義がさっぱり分からないのでボイコットしたことがあるそうだ。だれもいない教室で、湯川さんは黙々と講義をしていたとか。)

その意味においてじつは、今回の「3人とも日本人受賞」というのは、われわれが思っている以上に大ニュースで、「ノーベル賞最大3人のうち、かならず欧米人が1名以上入らねばならない」という不文律を歴史上はじめて壊したのだった。日本人がここでもう一度、自信を取り戻して、それが社会に浸透し、長期的には日本の景気がこれをきっかけにじりじりと上向くといいと思う。(案外、今回の選考は、スウェーデンのアンチ・アングロサクソン=アンチ米英という意識が入っているかもしれない)。



10月14日火 イギリス209日目。 ハンガリーのブダペストへ。



 まずは、きのうの写真の続き。
 きのう撮ったクレアホール2景。写真左は、Gillian Beer BLDGの側面、洗濯場から出たところのツタの紅葉。写真右は、わが家の裏側の紅葉。

きょうもどんより曇り空。10度くらい。しかし、5th European Forum on Eco-Innovation”Emerging Technologies for Eco-Innovation: Opportunities and Risks”に出席するために、ハンガリーのブダペストに行かなくてはならない。
食中毒で寝込んでしまった娘が起きないように、そっと家を出てタクシーでパーカーズ・ピースのバス停へ。11時のバス(14ポンド)に乗りルトン空港に向かう。12時30分到着。空港で昼食をとったあと、ハンガリーの紙幣(フォリント)を買った。

52.47ポンド → 13000フォリント。つまり、247.76フォリント/ポンド。

インターネットで調べてみると、324.17フォリント/ポンド ということで、たいへん損をした。ちなみに現在、1フォリント=0.525円。1ポンド=170円。1ユーロ=141円。

16時40分発ブダペスト行きのEasyJet機に乗車し、20時10分(時差1時間、飛行時間2時間30分)にブダペストに到着(往復114.73ポンド)。
 空港からホテル(メルキュール・ブダ、1泊76.50ユーロ)までのタクシーの乗り方がちょっと変わっている。まず窓口に行って行き先を告げる。するとその人が只の地図と値段(5300フォリント)を書いたチケットをくれる。そしてタクシーに乗って、そのチケットをタクシーの運転手に出す。たぶん、ぼられないように親切にこうしてくれているのだと思う。
 夕食は、ホテルにて。ハンガリー料理の代表を食べたいというと、ゴンバパプリカッシュという料理を勧めてくれた。これ、大変美味しい。中央にクスクスを固めたものが置いてあり、その周りをキノコのソースがかけられている。ソースはねぎを中心とする様々な野菜が入っていてコクがある。



10月15日水16日木 イギリス210−211日目。 欧州委員会主催 国際会議 ”Eco-Innovation”



15日水曜日。ブダペストは、晴れのち曇り。イギリスよりずいぶんと暑くて20度以上ある。コートは要らない。夕食は、日立チームと一緒にFatalという大衆レストランへ。七面鳥とほうとう。
16日木曜日。やはり良い天気。昼食は、欧州委員会のおごり。夕食は、天空の城(あとで説明します)にあるハンガリー料理の高級レストランへ。キノコのスープとポークとごはん。デザートは、パフェ。どれもたいへん美味しい。

 さて、生まれてはじめて訪れたブダペストのことを紹介しておこう。
 ブダペストには、中央にドナウ川が流れており、その西側をブダ、東側をペストと呼ぶ。あわせて、ブダペスト。ブダ側、泊まったメルキュール・ブダの東側に小高い丘があり、その丘の上に「天空の城」ブダ城がある。東西に短く南北に長い街がそこにあるのだ。
その町並みは、写真左のように、たいへん美しい。またその天空の城の中央にあるカテドラルの広場から、ドナウ川を隔てて、ペスト川にある美しい景色を一望できる。写真中央に写っている白い建物は、国会議事堂。独特の雰囲気のある美しい街だ。一番似ている都市はどこか、と問われたら、上海かな。パリほど威圧感がなく優しい。バルトークを聴いたときの不思議な浮遊感を感ずる。

 国際会議の運営の仕方は、なかなか面白かった。7人がすわれる円卓が16個あり、そこに適当にすわったら、それがチーム。まずは、「エコ・イノベーションのための、立ち現れつつある技術」というテーマに基いて想定されるイッシューを話し合い、5つ掲げる。
つぎに16チームが出したイッシューを司会者がとりまとめて、その中で共通のものを8つ取り出す。そして午後、そのイッシューの中で自分が興味あるものを選び、ふたたびグループに分かれる。それから、そのイッシューにおいてもっとも重要なテーマとそれを解決する政策提言をする。
 というもので、終日議論しているうちに、けっこう午前のチーム、午後のチームの人々と仲良くなった。両方のチームでいっしょだったヘレンという女性(スウェーデンの国家官僚)とは、なかなかの激論をすることができた。

 しかし、何よりも圧倒されたのは、100人以上いる参加者が、全員ヨーロッパ人ということ。こんな経験は、はじめてだ。たいがいの国際会議はアフリカ人やインド人、あるいはアジア人が混ざっていて、ほっとするものだが、全員ヨーロッパ人という環境は、猛禽類のなかにおきざりにされた羊のようなもので、落ち着かない。日本の学会にぽつりと参加しているヨーロッパ人も、おんなじ感覚なんだろうな。



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9月14日日−9月17日水 イギリス179−182日目。ISIS2008 & STEP を行なう。



9月15日月曜日から9月17日水曜日にかけて、ISIS2008 & 5th STEP を行なった。
http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/pdf/ISIS2008_Final.pdf
http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/pdf/ISIS2008_EFINAL.pdf
24名の方々(英国在住の研究所の代表者など。さらに6名が日本から)が参集してくださった(写真左)。

 初日の15日は、私が会議の趣旨説明をしたあと、シャープ・ラボラトリーズ・ヨーロッパの副社長の湯浅貴之さん、東芝ケンブリッジ研究所副所長の佐田豊さん、そして日立ヨーロッパCTOの都築浩一さんがすばらしい講演をしてくれた。さらに1時間ほど会場とお三方のあいだでディスカッションをして三社三様のイノベーション経営のちがいがあらわになった。
 午後は、キャノン・ヨーロッパ、日立中央研究所、日立ケンブリッジなどでの研究の実際を現場の研究者(それぞれ上里泰生さん、河野美由紀さん、半村清孝さんら)が話してくれたあと、私が、1時間の講義+30分のディスカッションを担当した。
そして、夜は懇親会(写真右)。Alex Stewartさんの奥様が24名分のおすしや揚げ物を作って持ってきてくださった。

 2日目の16日は、明治大学の阪井和男さんが、「共鳴場とは何か」について、ある企業のイノベーション戦略に見られるカオスの事例や「踊る大捜査線」の事例まで使いながら、たいへんすばらしい講演をしてくれた。これには、ほんとに感動。創造性の起源から教育イノベーション、さらにはマーケティングまでを、イノベーション・ダイアグラムで解き明かす。まるで曼荼羅を見るような思いだった。
 この2日目の夜は、日立ケンブリッジ研究所の計らいで、ケンブリッジ唯一の星付きレストランMidsummer House でフランス料理(ヌーベル・キュイジンヌ)をいただくことになった。「やればできるじゃん。イギリス人!」 これが、みんなの結論だ。

 3日目の17日は、本来ならば日立ケンブリッジ研究所の所長 David Williamsが、ケンブリッジ大学とは何かについて、対談を行なってくれるはずだった。ところが彼はひどい風邪にかかってしまい、高熱で自宅から動けず。そこで、最後の反省会を関係者一堂で行なった。
 その夜は、クレアホールでフォーマル・ディナー。日本から駆けつけた2人が、この「よこめし」にいらしてくれた。夜の11時半まで、文化人類学のディスカッションが続いた。
 この試みは、大成功だった。しかも経費はゼロ(日立のご好意による)。ぜひとも来年もやりたい(できれば、ケンブリッジまたはオクスフォードで)。



9月21日日 イギリス186日目。後半に突入。



 きょうは、3月20日にケンブリッジに赴任して、ちょうど6ヶ月目。後半への折り返し地点だ。1昨日から、ずっと快晴の日々が続いている。気温は20度前後と心地よい。昼過ぎからアメリカン・モール&Tescoに買出しに出かけた。夕食は、娘のつくったたらこスパゲッティ。たいへん美味しかった。
 さて、最近考えたことを思い出すままに記しておこう。
 
(1) イギリスからぜひとも日本に輸入したいもの。それは、カレッジシステムだ。大学院生と客員フェローがいっしょに住み、さらにフェロー(教授やリーダー)といっしょに飯を食ったり、サロンで話をしたりする。分野を超えたフランクな仲間があっという間にできる。ノートルダム大学も、これに近いシステムだったが、フェローもカレッジに住むというのが異なる。また食事の時間がとても厳格というのも大切な条件だ。おかげで、インスピレーションがたくさん生まれた。

(2) 日本人がイギリス人から学ぶべきこと。それは、歴史への自尊心だと思う。来年、ケンブリッジ大学は開学800周年祭を執り行なう。びっくりする必要はない。日本でケンブリッジ大学に相当する比叡山延暦寺は、806年の「開学」。あるいは高野山金剛峰寺は、816年の「開学」。それこそ、1200周年祭を行なうべきだし、奈良は2010年に建都1300年祭を行なって世界中からさまざまな科学者や宗教家を呼ぶと良いと思う。日本の歴史は捨てたものではない。写真は、わが家の近く、Newnham Collegeのすぐ隣にあるRidley Hallというカレッジ。ケンブリッジ大学の正式なカレッジとしては認められていないものの、ケンブリッジ大学の元来の目的であった修道僧の養成所である。宗教から科学への道は、じつは連続しているのである。京都は、世界の視座から京都発祥の宗教と学問とを見直すべきなのだ。

(3) イギリスが1990年代中葉にshit countryからexcellent countryに突然の相転移を起こしたのは、サッチャー改革による劇的な民営化を契機とすることはまちがいない。もう16年も好景気が続いているのは、サッチャー改革の結果、ロンドンに金と人が集まってきたことによる。ロンドンの人口700万人のうち、なんと200万人が外国人だという。こうして金が循環し始め、ロンドンは80年代のしょぼくれた街から見違えるようになってしまった。これは、ロンドン・イノベーションと言ってよい。東京も、たいへん住みやすい街になったのだから、規制を取り払って外国資本と人とが集まってくる街に変えるべきだと思う。



9月25日木 イギリス190日目。Cambridge Technology Management Symposium第1日目。



 今日から明日にかけて、IfM (Institute for Manufacturing)主催のCambridge Technology Management Symposium がDowning Collegeで開かれるので、参加してきた。このシンポジウムの参加費、なんと793.13ポンド(約16万円)。この物価の高さには驚かされる。

 私は、もちろんはじめて参加するが、すでに14回開催されていて、IfMの主要な収益源の1つになっているようだ。今年のテーマは、Creating Wealth from Knowledge: Practice and Policy。参加費の高さに最後まで出席をためらっていたものの、やはり私の任務を考えると、参加せざるを得ないと考え、身を切る思いで小切手を切った。

 午前中は、4つのセッションに別れ、ワークショップが行なわれた。私はTim MinshallとLetizia MortaraそしてJudith Shawcrossによる「Developing and Acquiring Skills for Open Innovation」というワークショップに参加。ケンブリッジ大学教授のJohn Ashton、EPSRCディレクターのVincent Osgood、そしてIXC(Innovation Exchange)社社長のMike Hieldとチームを組んだ。
 午後は、インペリアルカレッジ・イノベーションマネジメント学科のJohn Bassant教授による講義「Managing Knowledge Spagetti」、そして午前中チームを組んだMike Hield氏による公園「The IXC UK Story」。さらに、ARMの研究所のSimon Ford氏によるケーススタディ「Breakthrough Innovation through Intrapreneurship」。とくにARMの話は圧巻だった。

 夜は、エマニュエル・カレッジで大晩餐会(写真左)。ハリーポッター風の食堂にて、フルコースを食べる(魚のスープ&鴨&いちごケーキ)。たいへん美味しかった。写真右は、シカゴのノースウェスタン大学のMichael Radnor教授(Centre for Technology and Innovation Management のセンター長)およびキャノン・ヨーロッパの上里泰生氏とともに。Radnor教授からは、これからぜひとも協力してやっていきたいとの依頼があった。
 晩餐会の最後は、Sir Richard Dearlove(エマニュエルカレッジの学長)によるスピーチがあった。この方、なんと前MI6の長官。

 ところで、ISIS 2008 および STEP 2008 のWEBサイトを立ち上げました。
http://meserv2.phy.cam.ac.uk/~kiyo/index_e.html
ほぼすべてのプレゼン資料をダウンロードできます。



9月26日金 イギリス191日目。Cambridge Technology Management Symposium第2日目。



 朝、霧が出ていた。しかし10時ころにはすばらしい快晴になる。Cambridge Technology Management Symposiumの2日目。なにしろ16万円も払ったので、しっかり朝9時から出席。
午前中のセッション(写真)で面白かったのは、Plastic Logic社のチーフ・サイエンティストのHenning Sirringhausの講演。このPlastic Logic社だが、キャベンディッシュ研究所からのスピンアウト・ベンチャーとしてたいへん有名。2000年に創業したあと、150人以上の社員を抱えて活動している。なんと、2000年に3億円。2002年に18億円。2005年に24億円、そして2007年に100億円、計145億円の増資を行なってきている。しかし製品は、といえば、一応ソニーの電子ブックなどに搭載されているものの、ぱっとしない。
 彼らが目標としているのは、有機物によるトランジスタをつくり、折り曲げ可能な電子表示板(電子ブックなど)をつくるというもの。夢は大きいので増資もたくさん入ったものと思われる。最後の質問でも、ビジネスに関する比較的好意的な質問がたくさん出た。
そこで、矢もたてもたまらずに質問。
「私は、物理学者としていささか懐疑的。80年代に多くの物理学者が有機トランジスタに挑戦し、けっきょくあきらめた。それはブレークスルーが見つからないから。しかも同じ製品がシリコン薄膜で可能だ。あなた方は、寿命とモビリティにおいて何らかのブレークスルーにたどりついたのか」
 会場は、シーンとなる。彼がムッとして説明していたが意味不明。やっぱりこのビジネスは、Eインク社と同様の運命をたどりそうな気がしてならない。
 


9月30日火 イギリス195日目。キャベンディッシュ研究所半導体グループ。



 きょうは、どんより曇り。気温は15度くらいか。夜は10度を切る寒さとなる。

 朝11時に、キャベンディッシュ研究所の半導体物理グループで研究員をしているMKさんを、東工大院生のTKくんとともに訪ねた。MKさんは、たいへん詳しく中の研究室を説明してくれた。なんと希釈冷凍機が6台もある。さすがとしかいいようがない。

彼は、電流の標準を定めることを目標にして、GaAs上にナノテクでつくりこんだ弾性表面波で、2次元電子を1つずつ運ぶという実験をしている。もともと神戸大学を卒業後、ランカスター大学で修士号をとり、そしてケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で博士学位をとったという。たいへん見事な実験。

 写真左は、MKさんの愛用のクライオスタットを前にして。TKくんと。写真右は、MKさんとともにテスト実験を行なう部屋にて。こういう美しい実験系を見ていると胸が躍る。




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8月05日火 イギリス140日目。学部紹介 第9話=社会科学系(School of Humanities and Social Sciences)



 きょうは、朝から雨。降ったり止んだり。
 
 では、ケンブリッジ大学・学部紹介の第9話。きょうは、文系の代表選手であるSchool of Humanities and Social Sciences(社会科学系)を紹介してみたい。
 この社会科学系の学科構成は以下の通りだ。

考古学・人類学部(Faculty of Archaeology and Anthropology)
経済学部(Faculty of Economics)写真左
教育学部(Faculty of Education)
歴史学部(Faculty of Education)
法学部 (Faculty of Law)写真右
社会・政治科学(Faculty of Social and Political Sciences)(社会学を含む)
科学史・科学哲学科(History and Philosophy of Science)
土地経済学科(Land Economy)
(歴史・法・経済はSidgwick site, 考古学はDowning site, 教育学部はHomerton College。それ以外はNew Musium siteかMill lane site。ばらばらのように見えるがそれぞれ他の学系とつながりの強いところとくっついている。たとえば考古学は、すぐとなりが地質学)。
 そのほか、Center of …. で始まる研究所(International Studies, Latin American Studies, African Studies, South Asian Studies)4つを含む。

 日本と似てますね。19世紀の学問の構造をほぼ踏襲しても大丈夫だからだろう。
 しかし、いくつかのちがいが。第一に、筆頭学部である考古学と人類学および4番目の歴史学部。日本ではいずれも文学部に編入させ人文科学として捉えるが、ケンブリッジでは社会科学として捉えているようだ。こちらのほうが正しい。考古学・人類学・歴史学・そして社会学は、あくまで社会を研究する学問だ。いっぽう人文科学は、社会の研究ではなく人間のIntrinsicな側面を研究する学問。日本の分類のほうがおかしい。
 第二に、科学史・科学哲学を学科としてもっていること。私の知る限り、日本は、東大をのぞいてそのような学科はないと記憶している。また、哲学科は、後に紹介する人文科学系に属しているが、科学哲学は、社会科学に属させているというのも、興味深い。社会との相互作用の結果としての科学の成り立ちを研究する場だからであろう。
 第三に、Center of の4研究所がすべて旧植民地(あるいは発展途上国)にかかわるものであること。パックス・ブリタニカ時代に、どのように植民地を経営していくべきかをさかんに研究した名残だと思われる。
 こんな風に、ケンブリッジ大学の学部構成を眺めるだけで、学問の成立プロセスに対するインスピレーションが得られるのは、おもしろい。
 日本では、社会科学の研究成果を実際に社会に応用する(いわば応用社会科学)という発想は希薄だけれど、ケンブリッジでは、ケインズ以来の伝統と植民地経営の伝統を持っているので、基礎と応用の結びつきがたいへん高い。これもいいことだ。
 日本の社会科学はいまだにキャッチアップ型で世界への影響力が乏しい。じつは、それが日本のプレゼンスないしヘゲモニー力を下げているように思われる。もっと日本の強みである理工系とタイアップしないと、そのうち倒壊するのではないか。



8月06日水−07日木 イギリス141−142日目。学部紹介 第10話=芸術・人文科学系(School of Arts and Humanities)




 ケンブリッジ大学・学部紹介の第10話。きょうは、文系のもう1つの学系であるSchool of Arts and Humanities(芸術・人文科学系)を紹介してみたい。
 この芸術・人文科学系の学科構成は以下の通りだ。

建築学部(Faculty of Architecture and History of Art)写真左
アジア・中東学部(Faculty of Asian and Middle Eastern Studies)
古典学部(Faculty of Classics)
神学部(Faculty of Divinity)写真右
英語学部(Faculty of English)
現代・中世言語学部(Faculty of Modern and Medieval Languages)
音楽学部(Faculty of Music)
哲学部(Faculty of Philosophy)
(ほとんどSidgwick site。ただし建築学部はTrumpington site)。

 なかなかワクワクする。面白い点をまとめておく。
(1) 建築学部がなんと工学部ではなく、ここに属している。クリストファー・レン以来の伝統か。これ、まったく正しい。日本では建築学科が工学部に属しているから、町並みを考えたり人々が安らぐ空間を考えたりすることより、建築技術や建築工法を追うことになる。日本も、建築学科を人文科学系に属させれば、もうすこし町が美しくなるのではなかろうか。
(2) アジア・中東学部の存在。これ、曲者です。アジア研究をしてきたヨーロッパの学者が、アジアや中東を一段低いものとしておく傾向にあるのは、この学科の存在が大きいと思う。キリスト教にあらざるものを異端として上から目線で研究する伝統があるからだと思われる。
(3) 音楽学部の存在。これは大事。ここでは実際に音楽家も養成していて、芸術大学機能を持っているということだ。人文科学にとって音楽の存在は大きい。日本では(芸大をのぞいて)文学部に美学科はあっても芸術家を育てる場がない。



8月08日金 イギリス143日目。学部紹介 第11話=物理科学系(School of Physical Sciences)



ケンブリッジ大学・学部紹介の第11話。きょうは、理系のなかでもっとも中核にあるSchool of Physical Sciences(物理科学系)を紹介しよう。
 この物理科学系の学科構成は以下の通りだ。

地球科学・地理学部(Faculty of Earth Sciences & Geography)
数学部(Faculty of Mathematics)
物理・化学部(Faculty of Physics & Chemistry)
 − 天文学科
 − 化学科  写真左
 − 物質科学科
 − 物理学科(=キャベンディッシュ研究所) 写真右

この物理科学系は、ノーベル物理学賞を29人、化学賞を18人出した、まさにケンブリッジ大学の目玉だ(そのほか、医学・生理学賞が22人、経済学賞が7人、文学賞が2人、平和賞が2人。総計80人)。にもかかわらず、中の構造がじつにシンプル。そして、物理・化学部の4学科は、写真に示すようにどれも広大な敷地とビルディングを持っている。
 ここ、日本でいえば理学部(生物系をのぞく)そのもの。日本では、工学部はもてはやされる傾向にあるが、理学部は企業から敬遠される傾向にあり、しかも大学のポストがどんどん減少している。日本で理学系の博士課程の学生さんと話をしてみると、多くの人々が定職にありつけず、派遣をしたりしている。20年前はオーバードクター、今はオーバーポスドクで雇用環境はさらに悪化している。

 ケンブリッジ大学ではどうなのだろう。クレアホールのプレジデントのサイエさんによれば、Cityにはいり、30代半ばまでに生涯賃金分を稼いで、ふたたび大学にもどってきたりハイテク企業を起業したりする例が多いという。
 これは、日本を先取りしているのかもしれない。イギリスがけっきょくのところうまく行っているのは、彼ら天才たちが、若いころは金融業ではたらき30代なかばでハイテクベンチャーを始めるから、どちらの業種にも頭の良い人々が流れているからかもしれない。いっぽう日本では、天才たちがほとんど社会から捨てられている。どうすればよいのか。




8月11日月12日火 イギリス146−147日目。学部紹介 第12話=臨床医学系(School of Clinical Medicine)



 いよいよ、ケンブリッジ大学・学部紹介の最終回、第12話。臨床医学系(School of Clinical Medicine)を紹介しよう。
 この臨床医学系、ケンブリッジの南の郊外にあるAddenbrook病院(写真左)の中に分かちがたくある。その学科構成は以下の通りだ。

臨床生化学科(Clinical Biochemistry)
臨床神経科学科(Clinical Neurosciences)(brain repairという)
ライフサイエンス科(Graduate School of Life Sciences)
血液学科(Haematology)
遺伝学科(Medical Genetics)
医学科(Medicine)
  −麻酔科(Anaesthesia)
  −臨床薬理学(Clinical Pharmacology)
  −腎臓医学(Renal Medicine)
産婦人科(Obstetrics & Gynaecology)
腫瘍科(Oncology)写真右
小児科(Paediatrics)
精神科(Psychiatry)
公衆衛生・初期治療科(Public Health & Primary Care)
放射線科(Radiology)
外科(Surgery)

 これは、日本とはちがっていて、たいへん面白い。日本の医学がドイツをルーツとしているためだ。以下、主だったちがいをまとめておこう。

(1) 薬学部がなく、薬学が医学の中に組み込まれている。薬剤師の養成機能がどこにあるか、これから調べてみたい。
(2) 基礎医学がない。これは、基礎医学が理学部(生物科学系)に分類されているためだ。解剖学まで理学部にある。ライフサイエンスの大学院は、この臨床医学と理学の両方にまたがっている。
(3) 内科がない。なぜだろう。公衆衛生・初期治療がそれに対応するのか。これについても、今後の課題としたい。同様に皮膚科などもない。アレルギーやアトピーなど免疫学は、おそらく血液学に分類されていると思われる。
(4) ガンに特化した学科がある。これはたいへん優れた点。日本では、ガン治療が複数の科(内科、外科など)にまたがっているので統合された治療ができない。

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7月01日水 イギリス105日目。SAMCOケンブリッジ研究所で、James Scott教授およびSKさんと議論。



雲ひとつない快晴が朝から晩まで続いた。温度も25℃くらいで、今年最高の1日。まるでコートダジュールのよう。日本から、今日来れば良かったのに。各地で日光浴をしている人々に出会った。
 きょうは、朝からSAMCOケンブリッジ研究所を訪問して、James Scott教授および日本からいらっしゃっているSKさんとともに、彼らの研究と将来について議論をした。
 
 写真左は、SAMCOケンブリッジ研究所とスコット教授のいる地球科学科(Department of Earth Sciences)の建物。Downing siteの一番北側。Downing Streetに面してある。(2年前のSTEP参加者はみんな行ったよね)。なかなか荘厳な建物で、中に入って左に折れたところにこの地球科学科がある。ちなみに、その大部分はSedgewick Museumという地球科学博物館になっていて、入ると、写真右のように恐竜イグアノドンの骨格標本がお迎えしてくれる。



7月04日金 イギリス108日目。国際会議に向けて作戦会議&日立ロンドンに行く。

いよいよ2008年度のSTEP
http://www.doshisha-u.jp/~ey/japanese/education.html
を、9月15日から18日までケンブリッジ大学で開催することにした。例年、各大学ビジネススクールにお願いしてプログラムを作ってもらっていたが、今年は私が日本にいず寄付金も補助金もお願いに上がれないので、ポケットマネーで行なうことにした。しかも無料。しかもキャベンディッシュ研究所で行なう。しかも日本語で。しかも国際会議にします。(ISIS 2008: International Symposium for Innovation Strategy 2008)。しかも17日18日は、キャベンディッシュの見学会。
 講義をするのは、ケンブリッジ大学・オクスフォード大学と連携している企業研究者たち、および明治大学の阪井教授(手弁当で駆けつけてくれる)と私。日立、東芝、シャープ、キヤノン等々における企業研究と日本のイノベーションの将来像を語り明かしたい。詳細は、追ってお知らせするので、皆さん、ぜひとも9月15日の週にケンブリッジ大学にいらしてください。
 きょうは、そのISIS2008の作戦会議をしに、日立ケンブリッジに行き、ビルゲイツビルの1階で昼食を取った。4ポンドでたいへん美味しい。
 さらに、ロンドンの日立ヨーロッパに行き、CTOのKTさんにお会いし、この国際会議で講演をしていただくべくお願いした。




7月13日日 イギリス117日目。CadarashのCEAに建設中のITERを見に行く。



 日本とフランスが建設地をめぐって戦いを繰り広げ、ついにフランス側に軍配が上がったITER(核融合実験炉)の建設地・CEA(Centre Energie Atomic)カダラッシュに行ってみた。高速道路A8を西進すること約2時間。右側に、セザンヌがこよなく愛したサン・ヴィクトワール山が見え、ほどなくAix en Provence (エクサンプロヴァンス)に入る。
 A51に入って約1時間。17番出口(St-Paul-Lez-Durance)で下りると、すぐにCEAのものものしい研究所があった(写真左)。日本側が建設を予定していた青森の六ヶ所村には研究所はないし、こちらのほうが気候はいい。
 このカダラッシュ研究所のすぐそばには、サン・ヴィクトワール山のほかに、2つの観光名所がある。ひとつは、陶器で有名なムスチエ村(Moustier Ste-Marie)。もうひとつは、そのすぐ隣にあるフランスのグランドキャニオン=Gorges du Verdon。写真右は、そのキャニオンの最後の出口のところにある紺碧の湖=Lac de Ste-Croix 。ナウシカの風の谷のよう。




7月25日金 イギリス129日目。博士課程のNorixくん来たる。政策研究大学院教授HNさん来たる。




 25日金曜日。朝から良い天気。すこし汗ばむくらい。博士課程の学生さんのNorixくんがやってきた。8月10日まで彼は滞在する。まずは初日、ついでにアリーズから買った車の試運転がてら、TESCOに行って日用品を買う。また、昼食と夕食(クスクス)をカレッジで御馳走する。Norixくんは就職も内定し、すこし自信を取り戻したようだ。ぜひともがんばってほしい。

 26日土曜日。ふたたび朝から良い天気。政策研究大学院教授のHNさんが私を訪ねてくれた。研究に関する話をし、最近の論文を渡す。薬師寺泰三さんの仕事に言及しているので、近々薬師寺さんにその論文を渡してくれるとのこと。ぜひとも英国の突然の台頭のきっかけについて薬師寺さんと議論してみたい。キングスカレッジとトリニティカレッジを案内する。なんとUniversity Cardを提示すると、すべて無料(しかも一般公開されていないカレッジにも入れる)ということが分かった。みなさん、ぜひ私を訪ねてください。31あるカレッジツアーをやりましょう。昼はEagleでポテトを食う。夕食は米を炊いてデリーのカレー。超美味い。
夜は、マカオから来ている経済学者Fungさんの送別会を、University Centreのパブで行なう。写真左はその記念写真。左から韓国から来ているYoungsukさん(イギリス史)、スペインから来ているJavierさん(やはりイギリス史)、東京女子大からのLiliさん(文化人類学)、Fungさん、私、そして東大からのTakehikoさん(科学史)




7月28日月, 29日火 イギリス132 - 133日目。学部紹介 第8話=生物化学系(School of Biological Sciences)



 今までの7話でSchool of Technology (技術系、ビジネススクールを含む)を詳しく紹介してきたが、きょうはSchool of Biological Science(生物科学系)を1回で(超簡単に)紹介してみたい。
 この生物科学系の学科構成は以下の通りだ。

生物学部(Faculty of Biology)
生化学科(Biochemistry)
実験心理学科(Experimental Psychology)
生命科学部(Graduate School of Life Science)
病理学科(Pathology) → 写真左
薬理学科(Pharmacology)
生理学および神経科学科(Physiology and Neuroscience)
植物学科(Plant Science)
獣医学科(Veterinary Medicine)
動物学科(Zoology)→ 写真右
(ほとんどDowning Site。ただし生物学部はMill Lane, 動物学はNew Museums Site)。

というわけで、この一覧をながめるだけですごく楽しくなる。なぜなら、日本の大学とまったくちがうからだ。やっぱり科学の体系をひとつひとつ創っていった国だけに、そしてケンブリッジで多くの科学体系が生まれただけに、それぞれの学科とそのポジショニングに深い意味を感ずる。
 たとえば日本では、心理学は文学部に属しているし(どうして?)、病理学、薬理学、生理学は医学部に属している。この束ね方のちがいは、学問の方向付けを大きく左右する。


7月30日水 イギリス134日目。シャープ・オックスフォード研究所訪問 !!



 きょうは、オックスフォードサイエンスパークにあるシャープ・ラボラトリーズ・オブ・ヨーロッパ(株)(SLE社)をNorixくんと訪問した。副社長のYさんは、なんと1年前に基板研で窒化物レーザーのことで議論をした方。5月にとつぜん副社長の辞令をうけて、オクスフォードにきたそうだ。
このSLE社は、オクスフォード大学モーダリンカレッジとの協力で1990年にサイエンスパークの広大な建物を建設(土地は、カレッジから250年の借地権。建物は自前)。105人の職員を要する立派な会社である。大企業がヨーロッパに作った研究所の中では最大のものではないか。
 オクスフォードの南にサイエンスパークがあり、この中心にシャープ研究所がある。社長みずから、研究内容をくわしく語ってくれた。

1. Display Optics (たとえば3D )
2. Display ELectronix
3. European Design Centre
4. Lase and LED by MBE
5. Security and Language
6. SLE – Liaison

という構成になっているとのこと。
シャープにおける窒化物半導体研究には、いつだってどこだって驚かされるが、今回もそう。なんと2004年にMBE成長した青色レーザーが室温連続したとのこと。世界一ではありませんか。しかも今でも世界でこのシャープヨーロッパだけの成果とのことだ。
 

2008年07月23日(Wed)

2008年度(第5回)STEP
http://www.doshisha-u.jp/~ey/japanese/education.html
を、9月15日から18日までケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で開催いたします。参加費は無料、言語は日本語です。
同時に、国際会議を行ないます。(ISIS 2008: International Symposium for Innovation Strategy 2008)。
 講義をするのは、日立ヨーロッパCTOをはじめ、ケンブリッジ大学・オクスフォード大学と連携している企業研究者たち、そして明治大学の阪井教授および私です。
 日立、東芝、シャープ、キヤノン等々における企業研究と日本のイノベーションの将来像を語り明かしたいと考えています。

内容や応募方法の詳細は、
http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/pdf/ISIS2008_Final.pdf
をご覧ください。
 先着20名様までですので、ふるって御応募ください。

2008年07月05日(Sat)

2008年度(第5回)STEP
http://www.doshisha-u.jp/~ey/japanese/education.html
を、9月15日から18日までケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で開催することにしました。例年、各大学ビジネススクールにお願いしてプログラムを作ってもらっていましたが、今年は寄付金や予算がないので、自費で行なうことにします。参加費は無料、言語は日本語です。同時に、国際会議を行ないます。(ISIS 2008: International Symposium for Innovation Strategy 2008)。
 講義をするのは、日立ヨーロッパCTOをはじめ、ケンブリッジ大学・オクスフォード大学と連携している企業研究者たち、そして明治大学の阪井教授および私です。
 日立、東芝、シャープ、キヤノン等々における企業研究と日本のイノベーションの将来像を語り明かしたいと考えています。詳細は、追ってお知らせしますので、希望者は、9月15日の週を空けておいて下さい。

2008年07月04日(Fri)

Mixiに完全版があります。(友人のみ公開にしてますのでマイミク登録してください)。この日記は、Mixi日記からの抜粋版です。


6月05日木 イギリス79日目。カレッジは秘密の花園=第20話New Hall。



 日経新聞(6月5日夕刊1面)
http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/nikkei20080606.jpg
によれば、JR福知山線事故の捜査が一段落し、業務上過失致死傷容疑でJR西役員が書類送検になるとのこと。1996年12月に、事故現場の線路が600mから304mに変更になったことが事故の本質的原因としていて、現場カーブで事 故が起きる可能性を予見できなかったのにそれをしなかったのは、不作為であるとした。
 3月時点では、多くのマスコミから「どうも不起訴になるらしい」と聞かされていたので、晴天の霹靂。あの本の主張が全面的に認められて良かった。これで、被害者も「交通事故の被害者」と同列に扱われずに済む。兵庫県警を見直した。あとは検察がどこまでフェアにやるか、だ。

 「カレッジは秘密の花園」の後半の2部を始める。戦後最初に建ったカレッジ(歴代でいうと23番め)は、New Hall。このニューホールは、1954年にやはり女子高等教育の場として設立された。いまも女子大。ケンブリッジの北西(町の中心から歩いて20分くら い)、前回紹介したセント・エドモンズ・カレッジの隣に建っている。写真は、4月7日に撮影したもの。
 写真は、そのカレッジのほぼ中央にあるホワイト・ドーム。ここ食堂らしい。夏は、1晩50ポンドくらいで寮に泊まれるはずなので、皆さん、ぜひ泊まってみてください。



6月06日金 イギリス80日目。カレッジは秘密の花園=第21話Churchill College。



きょうの「カレッジは秘密の花園」第21話(後半7話)は、戦後2番目に建ったカレッジ(歴代でいうと24番め)Churchill College。このチャーチル・カレッジは、サー・ウィンストン・チャーチルを記念して1960に建てられた。
彼は、MITを視察しているときに科学者を教育し、大学と産業とがいっしょになって働かなければならないと痛感したという。70パーセントが科学・技術を学んでいる。
場所は、New HallやSt. Edmunds Collegeの西側。特徴的なかまぼこ型のビルが、いささか味気なくたっている。写真右は、学寮。



6月07日土 イギリス81日目。カレッジは秘密の花園=第22話Darwin College。



きょうの「カレッジは秘密の花園」第22話(後半8話)は、戦後3番目に建ったカレッジ(歴代でいうと25番め)Darwin College。このダーウィン・カレッジは、1960年に大学院生用のカレッジとして建てられた。もともとチャールズ・ダーウィンの息子の家だったので、それにちなんでダーウィン・カレッジと名づけられたそう。
場所は、Queen’s RoadとSilver Streetの交差点のけっこうがやがやしたところにまるでパブのように建っている。しかし中に入ったらこじんまりながらも、なかなかおしゃれ。キャンパスの中にケム川の支流が流れていて、ここからパントに乗れちゃう(写真)。


6月09日月 イギリス83日目。日立ケンブリッジ研究所を訪問。カレッジは秘密の花園=第23話Wolfson College と Clare Hall。


 
きょうも心からすばらしい快晴。気温は、27度(300 K)くらいだと思われる。すこし暑い。
ついに、組織科学から依頼されていた原稿を仕上げて編集委員に送ることができた。8ヶ月の便秘が治った感じで、すっきり。
11時に、日立ケンブリッジ研究所を、なんと今回来てはじめて訪問した。所長のデービッドとは2年前にどやどやと訪問した面識があるものの、彼の超多忙を知っているだけに、今まで遠慮していた。

さて、カレッジは秘密の花園=第23話(後半の第9回)は、Wolfson College と Clare Hallをまとめて紹介しよう。ウォルフソン・カレッジは、1965年に創立されたあとウォルフソン財団からの寄付でその名前を現在の名前に変えた。歴代26番目のカレッジで、大学院生用。場所は、南西Barton Roadのほうにあってすこし不便。3月29日の日記に登場している。ちょっと新興宗教がかった建物(写真中央)。ちなみにウォルフソン財団とは、小売業(Great Universal Store)で成功をおさめたSir Isaac Wolfson氏が設立した財団。
Clare Hallは何度も登場しているのでおなじみだろう。現在、私が所属しているカレッジ。1965年にクレア・カレッジによって設立された。歴代27番目のカレッジで、大学院生用のカレッジ。たぶん敷地面積は、31カレッジのなかで最小ではなかろうか。写真右はその中でもっとも古式ゆかしい建物(大学院生用の学寮として使われている)。


6月10日火 イギリス84日目。カレッジは秘密の花園=第24話Lucy Cavendish College と Fitzwilliam College。(後半の第10回)。


 
 きょうは、朝くもっていたが、昼からすばらしい快晴になった。薄青い空に浮かぶ半月がとても美しい。気温は、25度くらい。最高の日和。いま来るといいですよ。昼食はカップラーメンとシリアル。夕食はカレッジでストロガノフ。ナイラとブトゥルス(イスラエルから、中東の歴史)とともに、彼らはあと2週間でハイファに帰国するそうだ。
夕方6時に、プレジデントのエックハールトの家に招待された。(あじさいを持っていく)。夜は8時15分からブトゥルスによる最終講義を聴いた。

さて、いよいよカレッジ紹介もあとわずかになった。きょうはLucy Cavendish College と Fitzwilliam College。
ルーシーキャベンディッシュ・カレッジは、1965年に創立された(歴代28番目)。その趣旨は、成人女性がすべての大学学位を取れるようにするためで、フレデリック・キャベンディッシュの夫人ルーシー・キャベンディッシュがその提唱者。場所は、St Johns Collegeを超え北西にあるMadingley Roadの最初のあたり。(町の中心から15分くらい)。こじんまりしたカレッジだが、女子大だけあって、たいへんキュート。写真左が入り口付近。
フィッツウィリアム・カレッジは、2006年のSTEPで泊まったところ。参加者はよく御存知だろう。もともとカレッジに入れなかった男子学生がともあれ大学の施設を使えるようにするために、1869年に設立されたそうだ。場所は、町のど真ん中のフィッツウィリアム博物館の向かい側(いまはジャッジ・ビジネススクールになっている)にあったが、1960年にいまの場所(町の中心から北西にあるいて20分程度)に移され、1966年に正式にカレッジになった(歴代29番目)。写真右のように、いささかそっけない現代建築。


6月11日水 イギリス85日目。カレッジは秘密の花園=第25話 Homerton College。(後半の第11回)。


 
 朝は、よい天気。昼から曇り。夜パラパラ雨。
 朝からUniversity College of Londonに出かけた。(キャノンの研究施設がここにある)キヤノンの研究開発についてYKさんよりお話を伺う。

 さて、いよいよ「カレッジは秘密の花園」も、残すところあと2回。第25話 Homerton College。
 ホマトン・カレッジは、もともと1894年に、教師の養成学校として東ロンドンに建てられた。1894年にケンブリッジに移されたが、公式の記録上、ケンブリッジ大学のカレッジとなったのは、1976年とされている。(歴代30番目)。
 場所は、ケンブリッジの南東のはずれ(駅の近く)。Hills Roadに面している。Girton Collegeの次くらいに不便なところにある。
 入り口は、何ということもないタイル張りの校舎だが、1歩裏に行くと、たいへん由緒正しい雰囲気の校舎と学寮が立ち並んでいる(写真)。やはり19世紀以来この地にあった風格。すぐとなりにケンブリッジ大学の教育学部(Faculty of Education)があって、いまでも教育大学として機能しているようだ。



6月12日木 イギリス86日目。カレッジは秘密の花園=最終回 第26話 Robinson College。


 

 では、いよいよ「カレッジは秘密の花園」第26話、最終回です。Robinson College (歴代31番目。もっとも新しいカレッジ)。ロビンソン・カレッジは、1980年に地元の資産家であるデービッド・ロビンソン卿の寄付によって建てられた。そして1981年に女王の認可を得てオープンした。たいへん美しい近代建築(少なくともガラスと鉄骨はまったく見当たらない)で、中にあるチャペルのステンドグラスはすでに5月1日に紹介した。
 クレアホールのすぐ隣にあって、砦のような入り口はHerschel RoadとGrange Roadが交わるところにある(写真左)。中に入ると、たいへん広くて美しい、まぎれもない秘密の花園がある。写真右は、その庭園を抜けて池越しにカレッジを撮影したもの。


6月13日金 イギリス87日目。学部紹介 第1話=ケンブリッジ大学の全体構造。

 さて、きょうから学部紹介をしていこう。
 まず、ケンブリッジ大学の全体構造から。
 ケンブリッジ大学の下には、すでに紹介した31のカレッジがあって学生たちの面倒を見ているわけだが、それとは別に彼らが勉強する学部が当然ある。(そこで昼食や夕食のときは、多様な分野の人と話ができることになる)。
 この学部群は、大きく以下の7つのSchoolに分かれている。

1) School of Arts and Humanities (人文科学系とでも訳す?)
2) School of Humanities and Societies (社会科学系)
3) School of Biological Sciences (生物科学系)
4) School of Physical Sciences (物理科学系)
5) School of Technology (技術系)
6) Institutions independent of any School (その他)
7) School of Clinical Medicine (臨床医学系)

これは、たいへん進んだ分類だと思う。日本の大学のように19世紀のディシプリンを踏襲していない。とくに面白いのは、5)のTechnology。あえてEngineering という言葉を使ってないのは、広い意味の技術を意味したいのだと思う。実際、このなかにFaculty of Engineering 工学部というのが属しているし、さらにFaculty of Business and Management = Judge Business Schoolも属している。つまり、経営学もビジネス学も、科学ではなく技術に分類されているのですね。これ、たいへん正しい。


6月14日土 イギリス88日目。May Ballが行なわれる。



 曇り。あいかわらず寒い(15度くらい)。昼食は、インスタント焼きそば。
 きょうは、何度か話題に出たMay Ballが行なわれた。いわゆる学園祭で、カレッジごとに行なわれる。1人65ポンド。19:30からFeast(宴会)が始まり、翌日の4時まで行なわれた。
 写真:左からプレジデント夫人のLisa Saljeさん。ロンドンの高階玲子さん。パーラメントハウスのProfessor David Cope。


6月19日木 イギリス93日目。ロンドンで毎日新聞のYMさんに会う。学部紹介 第2話=ケンブリッジ大学の場所。



 きょうは、良いお天気。気温も23度くらいと心地よい。お昼にロンドンに行き、毎日新聞の女性記者(理系白書の主著者)のYMさんに会った。

さて、学部紹介、第2話をはじめよう。
きょうはケンブリッジ大学のカレッジでない部分は果たしてどこにあるのか、という話をしたい。すでに、ケンブリッジ大学とは、31あるカレッジ(1599年までに建てられた16校=前半に紹介。1800年以後に建てられた15校=後半に紹介)の集合体であることを記したが、それだけではない。カレッジに属さない、講義と実験の場所(国立の部分)が存在して、それは上の地図に示すように、およそ12の場所に分散して存在する。以下、おおむねどんな学系(School)や学部(Faculty)がそれぞれの場所にあるのかを、南東から北西に向かって記しておこう。

Addenbrook site(地図には示していない南のはずれ)=アデンブルック病院。臨床医学系
Lensfield site = 化学図書館,大気科学センター,分子情報センターなど
Old Addenbrook site =ビジネススクール,バイオテクなど(旧病院地区)
Trumpington site =工学部
Downing site = 考古学,地学,心理学,生理学など
New Museum site =化学工学,社会学,動物学など(旧キャベンディッシュ研究所)
Old Schools site = 大学試験部門や学位認定部門などの事務部門
Mill Lane site = 工学系,土地経済学,理学系,人文社会科学系など
Sidgwick site =文学部,法学部,経済学部,音楽学部,神学部など
Wilberforce site =数学,理論物理学,ニュートン研究所
Madingley site =天文学。
West Cambridge site =キャベンディッシュ研究所(物理学科),コンピュータ科学科,電子工学科,獣医学系など。

というわけで、てんでばらばらで統一性がない。教授は、カレッジへの帰属性がつよくカレッジをよくしようとはするものの、カレッジ以外の共用部分は一種のCommonsの悲劇が起きているのかもしれない。
いま工学系をWest Cambridgeにうつそうとしていて来年(2009年)の夏には、Mill Lane siteやTrumpington siteなどの工学系(MOT部門をふくむ)はすっかり空っぽになると思われる。そうなると、この西のエリアがケンブリッジ大学の新しい顔になるとともに、もう少し統一的な再配置が行なわれるだろう。


6月20日金 イギリス94日目。Teraview社創業者&CEOのドナルドアーノン氏に会う。学部紹介 第3話=ジャッジ・ビジネス・スクール。



  昼過ぎに、セント・ジョンズ・イノベーションパークにあるTeraview社に行き、ドナルド・アーノン(Dr. Don Arnone)にお会いして起業のいきさつを伺った。たいへんためになる話。また彼らのテラヘルツ発生&トポグラフィー装置を見せていただいた。

学部紹介=第3話。まず、School of Technologyから順番に紹介していく。
このSchool of Technology(技術系)は、以下の学部・学科からなっている。

School of Technology
1. Judge Business School
2. Faculty of Computer Science and Technology
3. Faculty of Engineering
Department of Energy, Fluid Mechanics and Turbomachinery
Department of Electrical Engineering
Department of Mechanics, Materials and Design
Department of Civil, Structural, Environmental and Sustainable Development
Department of Manufacturing and Management
Department of Information Engineering
4. Department of Chemical Engineering
5. Institute of Biotechnology

つまり、この「技術系」の筆頭が、ジャッジ・ビジネス・スクール(Judge Business School, 旧名=Judge Institute of Management)だ。これは、Old Addenbrooke's siteのもっとも良い場所を占めている。フィッツウィリアム博物館のまん前。写真左のようにたいへんお洒落な建物だ。John Outramというデザイナーの作品。
 中に入ると、もっとサイケデリック。写真中央のように全体が吹き抜け構造になっていて色とりどりの壁と窓からなっている。各階は、写真右のように出窓のようになっていて、2階はカフェテリア。歩き回るとなかなか楽しい。しかし手前味噌だが、寒梅館のほうが使いやすいし荘厳だ。
 この地は、もともと病院だった。1984年までに病院が現在のAddenbrooke's siteにうつったあと、ここは空っぽとなった。1991年にMonument Trustの Sir Paul とLady Judgeが寄付をして、Judge Instituteとなり、1995年にこの建物ができあがる。

 MBAコースのほかにMater of Financeコースがある。MBA入学のためには、厳格に5年以上の社会人経験がいる。教員の数50人以上でこれもすごい。


6月21日土 イギリス95日目。学部紹介 第4話=コンピュータ・サイエンス&テクノロジー。



 きょうは、朝から雨。昼過ぎに曇りに転ずる。気温は20度以下。
 昼食は、インスタント味噌ラーメン。夕食は、レトルトカレー(マイルド味しかなくなった)。

さて、学部紹介=第4話。School of Technology(技術系)の2番目、コンピュータ科学技術学部。
これは、Computer Laboratoryと呼ばれていて、35人の教員、25人の職員、35人の研究員、155人の大学院生からなる(ヘッドは、Professor Andy Hopper)。日本だと、工学部の一部におさまりそうだが、ここでは工学部から独立していて1つの学部をなす。やはり、「技術」というのを「工学」より広い概念として捉えているからのようだ。
もともとは1937年に機械式コンピュータ・アナログコンピュータを研究するために数学科の一部として発足し、1945年からデジタル・コンピュータの研究を始めた。現在は、頑丈なオペレーティング・システムのアーキテクチャー、ローカルエリアネットワーク、分散コンピューティング、ディスプレイ技術などに研究の焦点が当てられている。
 場所は、West Cambridge siteで、キャベンディッシュ研究所の北側にあるCAPE(4月21日に登場、電子工学科)のさらに北側。ビル・ゲイツによって寄贈されたウィリアム・ゲイツ・ビル(写真左)の中(というか全部)にある。一見、おしゃれなビルだが、写真右(玄関のアップ)に示すように、けっこう安普請(震度5の地震が来たら、ナノサイエンスセンターの次にぶっ壊れるだろう)。それにコーキングなども大雑把で、日本の建築家がみたら目を回すことだろう。

2008年06月07日(Sat)

Mixiに完全版があります。(友人のみ公開にしてますのでマイミク登録してください)。この日記は、Mixi日記からの抜粋版です。

5月2日金 イギリス 45日目。ヘンリー8世、椅子の足を手にする。



5月2日金曜日は、朝からたいへん良い天気。キングス・カレッジとトリニティ・カレッジを訪問した。昼はカレッジでフィッシュ&チップス(生まれてはじめてフィッシュ&チップスが美味しいと感激)。名誉フェローのDavidさん(歴史)といっしょに。
写真左は、トリニティ・カレッジの中にあるヘンリー8世の像。そして写真右は、正門上のヘンリー8世の像。右手に椅子の足を持っている。学生によるいたずら。


5月9日金 イギリス52日目。ブライアンとトリニティ・カレッジで食事。



 きょうも、みごとにうつくしい初夏の日。快晴で気温25度。ちなみに、小鳥のさえずりの声がすこし減った気がする。あれは、幼な子が親を呼んでいる声にちがいない。
 昼の12時45分にクレア・ホールの入り口で、ブライアン(ジョセフソン教授のことです。1973年ノーベル物理学賞受賞。どうもジョセフソン氏と書くのは気が引けるようになってしまった)と待ち合わせ、連れサイクリング(写真左)で、トリニティ・カレッジに行った(写真右)。彼のおごりで、トリニティ・カレッジの昼食をいただく。たいへん美味い。クレア・ホールとしきたりがちがうものの、ポタージュ(きょうはアーティチョーク)・メイン(きょうはタリアテーレ)そしてデザート(プリン)という枠組みは同じ。ただしクレア・ホールと異なり、セルフサービス。
ハリー・ポッター風の厳かな食堂のなか、フェローのテーブルで食事をした。(机は簡素な板張り、けっこうしょぼい)。ブライアンから、トニー(Anthony K. Cheetham, FRS, Professor of Materials Science)を紹介してもらい、食後、コーヒーを飲みながらしばらく議論をした(このサロンは、けっこう近代的)。それからブライアンは、親切にもレン図書館(あつしさんのいう重々しい鍵で開けてくれた)とフェローズ・ガーデンを案内してくれた(どちらも一般公開されてないところ)。フェローズ・ガーデンはたいへん広い。


5月13日火 イギリス56日目。ニースに行く。やっぱり故郷は落ち着く。



きょうもケンブリッジは、またまた良い天気。すこし肌寒くなったので20度弱くらいか。
きょうから3日間、ニースに出張。昼食はスタンステッド空港でサンドウィッチ。EasyJetをはじめて使った(往復85ポンド)。安くてきれい。お勧めです。日本でも同じビジネス・モデルの航空会社が出てきてほしい。
4時半にニース・コートダジュール空港に着く。やっぱり良い天気(ただしかすみ雲)で気温は24度くらい。夕食は、第2の故郷のValbonneでフランス料理を食べた。たいへん美味しい。やっぱりニースが落ち着く。
きょうの写真左は飛行機の窓から写したアンティーブ半島(Cap d’Antibes。一番左奥の海岸がカンヌCannes、その手前・左側の海岸がゴルフ・ジュアンGolfe Juan、右側の海岸がアンティーブ)。写真右は、その一番右側の海辺の拡大。真ん中ちょっと左にお城(ピカソが住み暮らしたグリマルディ城)が見える。


5月18日日 イギリス61日目。ミルトンまでケム川のほとりをサイクリング。



昨日までの悪天候を取り返すかのような清清しい朝がやってきた。快晴。ただし気温は12度くらいと寒い。鉄道代が3分の2になるNetwork Railcard(20ポンド)を駅に買いに行ったついでに、ケム川のほとりを下流(東)に向かってサイクリングしてみることにした。
途中でMuseum of Technologyというのがあったので入ってみると、1845年製の蒸気機関(Horizontal mill engine)が飾ってあった(写真左)。これはケンブリッジ市内の工場で実際に使われていたもので、工場のすべての機械の動力源だったそうだ。
さて、ケム川は少しずつ川幅を増していくのに、流れはほとんどない(まるでプールのよう)。ところが海洋に出られるようなクルーザーが停泊している。なんと不思議な。この謎は、しばらくサイクリングを続けていると解けた。写真右のように川の途中に閘門(こうもん)があった(Baits Bite Lock)。


5月20日火 イギリス63日目。自転車の保険がようやくおりる(かもしれない)。



 きょうは晴れのいい天気。でも10度〜13度とたいへん寒く、いったん衣替えした冬の衣装を引っ張り出した。コート着用が必要です。きょうもまた終日、研究。

 写真は、1昨日の写真から。写真上は、トリニティ・カレッジのフェローズ・ガーデン。これは、ほんとに正真正銘の秘密の花園です。公開されていないのでだれもそこにはいず、別世界。ここで本でも読んでいると、妄想の世界に引きずり込まれそう。写真下は、その日のキングス・カレッジの遠景。4月16日に掲載したのと比べていただくと、いかに若葉の成長が早いかがわかる。


5月22日木 イギリス65日目。日立Expoに出席する。



 パリで目覚める。すずしくよい天気。
 日立Expositionに朝から晩までいた。研究者みずから展示の説明をしていて一つ一つを30分くらいかけて冷やかして回る。ひさしぶりに庄山さんと。
 写真は、日立expositionが行なわれたデファンス地区の写真。90年代は、ここは荒れ果てて恐かったところだったが、いまは新宿なみに高層ビルが建っている。気になるのは、すべてアメリカの物まねのガラス張りビル。フランスらしくないし、ガラス張りのビルは温室効果をもたらすので環境に良くない。(建築家は、赤外線域の情景を想像しながら設計してほしい)

 以下、日立の展示で印象に残ったこと。
1. ジオラマと演劇で未来の生活を描きながら、日立の紹介をしているのは、良かった。しかし日立グループ一つ一つを紹介しようとしているあまり、(たぶん各社のバランスの企画調整のためであろう)盛りだくさん過ぎて却って印象が残らない。かつ技術が全面に出すぎていた。ワクワクするかどうかを評価基準にすると良いと思う。(博報堂が担当したそうだ。プロデューサーは、技術ではなく科学のことをもうすこし知っている人が必要。新しい教育プロセスがいりそう)。
2. 展示のなかで一番良かったのは、まったく新しいタイプの車載用燃料電池。シクロヘキサン⇔ベンジン+水素の可逆過程を用いるもの。まるで生体系のように有機系をリサイクルするので、基本的に石油をまったく消費しないし、現在考えられている燃料電池とちがって実現可能性が大きい。
3. つぎに良かったのは、有機薄膜系太陽電池。内部量子効率自体は80パーセントを超えるそうで、窓に貼り付けたりすることで発電ビルができそう。
4. 三つ目に良かったのは、ゴミ処理工場などに導入すべき、ダイオキシンの連続リアルタイム検出装置。小型の質量分析装置を組み込んである。
5. 四つ目に良かったのは、半導体チップをパッケージに貼り付ける(いわゆるダイボンディング)の際のまったく新しいタイプの高温ハンダ(というか導電性化学反応)。鉛フリー。
6. 全体を通して、感じたのは、日立基礎研究所・中央研究所の変貌ぶり。いまや基礎研究のたいへん高い知識を保ちつつ社会貢献しようとする志が見えていた。「役に立つ」ということを全面に押し出すと、こんどはだれでもできる二流感のある研究に落ち込んでしまうのだが、ぎりぎりその線を超えていない。ワクワクする思いがまだ残っている。ほんとは、もう少しよい研究マネジメントの手法があるのだが、それにはまだ気がついていないようで、いちど彼らを巻き込んでフォーラムをすると良いと思う。
 

5月31日土 イギリス74日目。O社のSTさんが訪問してくれた。



きょうは、突然の快晴。温度も25度くらい。最高の1日だった。
10時半に、O社のSTさん(第2期のNMさんのご同僚)が、わざわざ訪ねてきてくださった。聞くところによると、O社は、40代で3ヶ月のリフレッシュ休暇を取ることができるとのこと。その間は、何をしてもよい。もっとも面白かった例は、中国でホームレス体験をした人。で、彼はロンドンに1ヶ月滞在した後、2ヶ月かけてヨーロッパをまわるそうだ。これを経ると、カリカリしていた上司は、必ず「大人」になって帰って来るらしい。すばらしい制度だと思う。キングス・カレッジとトリニティ・カレッジを案内した。昼食は、パブAnchorでソーセージ。

昨日撮影した写真から。写真左は、我が家。家の前の白い花が咲きました。先日レーザー測距計で内部の広さを測ったら、ちょうど70m2。4月の家賃は1600ポンドだった(約34万円、ただしカレッジの食事が20食分無料)。ちなみにフランスの「我が家」は250m2(敷地面積3000m2)で、家賃18万円だった。
 写真右は、昨日偶然通りかかったミルフォード通り(約100m弱の短小道路)。藤原正彦さんの「遥かなるケンブリッジ」によれば、彼の家はミルフォード通り17番地だったそうなので、写真右の左から3番目の車に面するちょっと奥に食い込んだ(その分が小さな庭になっている)家だと思われる。


2008年05月16日(Fri)

山口栄一研究室のホームページを、日本語版・英語版とも全面改訂しました。
http://www.doshisha-u.jp/~ey/
ご覧ください。