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オムロン基金研究プロジェクト(2015年度)

総括 伝統産業グローバル革新塾10年の歩み -伝統産業から「文化ビジネス」へ-

2016年2月20日開催のシンポジウムにおけるキーノートスピーチ

 皆さん、こんにちは。同志社大学の村山と申します。伝統産業グローバル革新塾10 年記念イベントということで、雨の中どうもありがとうございます。伝統産業グローバル革新塾ですが、10 年前に京都の伝統産業を活性化しようということで私が始めた塾です。従って私が塾長を10 年間務めて参りました。どういう形でやってきたかと申しますと、伝統産業をビジネスの手法を使って活性化して行こうということを目的にやってきました。特に次世代を担う経営者、職人さんを育てようということで10 年間やってきました。10 年間の軌跡を今日は説明させていただいて、その後、パネルディスカッションのところで若い職人さん、経営者に出てきていただいて次に繋がる話にもっていきたいというふうに考えております。
スピーチされる村山先生
 この10 年間にいったい何をしていたのかということを、まずはお話させていただきたいと思います。この塾ですけれども、そもそもが2006 年10月に文部科学省からお金をいただいて始めた、そういう塾です。2007年3月に第1期生が先ほどちょっと話がありました花の御所の上の寒梅館というところに集まりました。今月が2016 年2 月ということなので、革新塾への資金援助から10 年、このタイミングでイベントをやるということになりました。
 まず、最初の写真ですが、これは始めた時に使ったポスターです(写真1)。伝統産業グローバル革新塾と書いてありまして、重要なのはここの提言の部分です。そこに何が書いてあるかと言いますと「伝統産業から文化ビジネスへ」とあります。これは、我々が10 年間、一貫してやってきたことです。伝統産業という呼び名はやめよう。そうじゃなくて文化をビジネスとしてとらえるというのが我々の方針だったのです。従って文化もイノベーションすれば、より時代に合ったものが出来上がる、そこからグロ-バル展開をし、普通のビジネスのようにやっていこうということで、文化ビジネスという名前を付けました。これが我々の基本方針です。

ポスター「伝統産業グローバル革新塾-提言、伝統産業からビジネスへ-」

写真1:革新塾のポスター

 10 か月後の2008 年1 月ですが、いきなりアメリカにもっていきました(写真2)。アメリカのサンフランシスコの国際ギフトフェアに出展しました。あんまり準備をしていなくてともかく作って持っていったのですが、結果はどうだったか。実は、ほとんど売れませんでした。安いものはちょっと売れたのですけどね、ほとんど売れなかったです。もちろんがっかりしたんですけれども、理由はわかったのです。ひとつは海外展開する時にどこに持っていくかが非常に重要であって、サンフランシスコでよかったのかという点です。それとこの国際ギフトフェアが、サンフランシスコのギフトショップのオーナーが来るようなところだったんですね。そういうところだとちょっと京都の伝統産業は売れないだろうと思いました。これはひとつの反省ですね。
カリフォルニアの国際ギフトフェア

写真2:国際ギフトフェア

もう一つは、実は私がここに行って、いろいろ説明する予定だったんですけれども、行く一週間前にぎっくり腰になってしまいまして、立てなくなってしまったのです。したがって、現地で説明できずに伝えたいことが伝わらなかった、ということがあります。やっぱり人が行って伝えないと、京都の伝統産業は分かってもらえない、これも大きな教訓となりました。
 その後、いろいろなイベントをやったのですが、イベントごとに紹介します。2008年の3 月に大阪で「暮らしの中の宇宙ブランド」というのをやりました(写真3)。JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共催です。なぜ伝統産業が、宇宙と組むのかと言うことなのですが、私は以前、JAXAの研究員をやっていました。そこで、日本の宇宙開発に独自性を持たすには、いったいどうしたらいいかということを考えまして、伝統産業と宇宙をつなげたら面白いのではないか、という発想にいたったんです。その関係でこういうイベントをやりました。これは何を発表しているかといいますと、衛星写真、衛星から撮った写真ですね。それを友禅の作家にデザインしていただいて、バッグを作ったり時計をつくったりして発表しました。この友禅作家には、いろいろと宇宙関係の仕事していただき、宇宙開発に非常に貢献したということで、これが評価されてJAXA から表彰を受けました。友禅作家がですよ。こんなことは、JAXAの歴史、始まって以来だと思うんですけれども、こういうこともありました。
JAXAとの共同プロジェクト

写真3:JAXAとの共同イベント
衛星写真を使った友禅作品を披露している

 同じ月に寒梅館で製品展をやりました(写真4 )。そして、その夜に第1 期生の修了式をやりました。これ修了式の様子です(写真5)。
 これは西陣の町家でやったのですけれど、実はこれは私の実家なんです。実家がイタリアンバーになっていまして「yu-an」という店です。そこで修了式をやったというのがこの写真です。
 次がこれも寒梅館で、JAXAと共催で「宇宙とつながる京都展」 というのをやりました(写真6)。この頃までには2つのグループができまして、一つは宇宙班と呼んだグループ、もう一つがパリ班、パリに行こうということでパリ班、この2つのグループで活動していたんですね。この宇宙班がJAXAともう1回やってみようということで、宇宙と京都を繋げる、そういうプロジェクトをやりました。なぜ宇宙と京都かということなのですが、先ほど河村先生の足利家の室町時代の話がありましたけれども、これは京都でも平安京に関わる部分です。平安京というのは非常に宇宙的な空間なんですね。実は平安京というのは人工の都なのですけれども、それを作る時に中国の宇宙観、これに基づいて都市計画をしたと言われています。だから非常に宇宙と関連が深い。それから具体的な例では安倍晴明、ご存知ですね。彼は占星術を執り行い、朝廷から天文博士という称号をもらった人です。京都というのはもともと宇宙と非常に関連が深い、ということで宇宙と京都をつなげてみようとやったのがこのイベントです。そして、この時は山崎宇宙飛行士からビデオレターを送っていただいて、山崎さんは伝統文化に非常に興味がある方なのでスピーチをして頂いた。そういうこともやりました。これが2009 年3月ですね。
寒梅館での展示

写真4:寒梅館での製品展

製品展打ち上げ

写真5:第1 期生の修了式

寒梅館でのイベント「宇宙とつながる京都展」

写真6:「宇宙とつながる京都展」の様子

 それから2009 年もう一つ大きなことをやりました。パリ・モンパルナスで「京都の赤展」という展覧会をやりました(写真7)。さきほどフランシスコでは駄目だったという話をしましたが、今回は人も連れていこうということで13人の職人さん、それから経営者を連れていきました。場所は、パリ・モンパルナスでやりました。テーマも絞って赤だけを持って行こうと、すべて赤の作品・製品にしたのです。写真で下がっているのは西陣織の縦糸です。これを天井から吊るしました。それから、後ろに見えているのは木版画の赤ですね。それから清水焼の赤、友禅染の赤、いろんな赤を持って行って、赤だけを見せるという、そういう展覧会をやりました。京都にはいろんな赤色があるわけですね。これらはパリの赤色とは違う、それを見てもらいたいということで赤色を持って行ったわけです。
「京都の赤」展

写真7:パリで開かれた「京都の赤展」
ストーリーを伴うことで初めて日本の
伝統産業は海外で輝きを放つという
ことを実感したイベント

これは3日間しかやらなかったのですが、400人以上の方が来られまして、非常に盛況でした。それから商品も非常に売れました。ほとんど完売したものもありました。これはなぜかといいますと、ひとつは説明ができたということなんです。私が実際にそこに行って京都の伝統産業の話をし、木版画摺師の原田さんに出演していただいて摺りの実演をしていただきました。その後で販売のところに持っていくとバカバカ売れるんですね。だから、やっぱりストーリーがあって説明しないとなかなか日本の伝統産業は売れないんだな、と実感しました。これはある意味、我々にとってエポックメイキングなイベントでして、あとでまたこのパリの話題に返ってきますけれども、みんなの心の中に非常に残っているイベントです。
次がもう一つ、宇宙の写真(写真8 )。これがどこで撮った写真かといいますと、非常に不思議な写真なんですけれども、実は国際宇宙ステーション日本実験棟の「きぼう」の中で撮った写真です。窓の外で見えている青い球形の部分、あれは地球です。これは誰が撮影したかというと山崎宇宙飛行士が撮られた写真です。これは実は闇プロジェクトでして、JAXAから公認されていなかったんですけれども、ともかく宇宙に京都の物を持っていきたいということで、プレゼントとして何とか山崎さんにこの風呂敷を渡したのです。山崎さんはピンと来られたようで、この風呂敷に包んで色々な物を宇宙ステーションに持っていかれたんです。宇宙飛行士の持ち物というのは実はそれほど厳しい検査をされないんですね。他は全部凄い検査をするんですけれども。山崎さんが帰還後1、2 ヶ月してから、この写真が届いたんです。非常に嬉しかったです。写真は、宇宙で無重力に漂う友禅染風呂敷です。こんな写真は、ちょっとこれからも無いだろうと思います。
無重力に漂う京都の風呂敷

写真8:国際宇宙ステーションの
日本実験棟「きぼう」で無重力の
中を漂う友禅染風呂敷

 それから日本に帰ってきてから2 回、イベントをやりました。一つは東京の代官山で、このイベントをやりました(写真9 )。これも赤展なんですけれども、スペースが違うので赤の箱、これは実は輸送する時に使う箱なんですけれども、それを使って中に伝統産業品を入れ込んでこのようにインスタレーションをやりました。それからもう一つ清水寺、今日は能楽堂なんですけれども、実は清水寺の経堂という所でもイベントをやりました(写真10)。これは、非常に興味深かったイベントです。この写真に誰が写っていかというのが一番面白いのですね。誰が写っているかわかりますか?有名人が写っているんですよ。対談の写真で、手前は私なんですけれども、向こうのほうに写っているのは、浜矩子さんです。経済評論家でよくテレビにも出ておられますよね。浜さんは、実はビジネススクールの教授でもありまして、出演していただきました。これは非常に面白いトークになりまして、浜さん自身も非常にこのセッティングが気に入ったみたいでした。
東京での「京都の赤展」

写真9:東京での「京都の赤展」
輸送用の箱に作品を入れ込んだ
状態で展示している

清水寺の経堂での「京都の赤展」

写真10:清水寺の経堂で開かれた
「京都の赤展」

 次が宇宙班のひとつのピークを映した写真です(写真11)。「Space Sakura Project」と呼んでいたものなのですが、これはJAXA の正式プロジェクトとしてやりました。何をやったのかというと、無重力の中で桜吹雪をやってみようという、とんでもない発想でやりました。さらには、それを3-D カメラで撮って、それを着物のデザインにしようというプロジェクトです。宇宙と着物を結びつけたプロジェクトです。これを実行するにあたり、東映の映画村に行って桜吹雪の専門家に話を聞いたりして、多くのリサーチをして、最終的にこういう形で実行しました。これは、無重力のなかで桜吹雪が3-D で撮られるという非常に面白い映像でして、実はリアルタイムで宇宙ステーションから送られてきました。われわれは筑波宇宙センターに待機し、実験をNASA の宇宙飛行士にやってもらったのですが、宇宙と交信しながら映像を送ってもらいました。これは非常に楽しかったプロジェクトです。
無重力の桜吹雪

写真11:無重力の桜吹雪

 次は5 年目の最後ですけれども、寒梅館で「京都カスタマイズ」というイベント、シンポジウムをやりました(写真12)。実はこの頃から若い方が革新塾に入ってこられて、新しいビジネスを始められるということが起こり始めました。その中の1 人が後で登壇していただく北林さんですが、これは北林さんが「京都カスタマイズ」というビジネスを始めるというので、そのための記念シンポジウムを開いたのです。それでそのために作ったのがこのランプです。これは西陣織の金箔を使ったランプです。有名な若手デザイナーと組んで西陣織の素材を使ってこういうランプを作りました。結構評判が良くって海外でも売れました。香港とかそういうところで売れたと思います。日本でもわりと売れた商品になりました。ということで5 年目の終わりには、こういう新しいビジネスの形も見え始めてきました。
京都カスタマイズの作品「金箔を使った西陣織のランプ」

写真12:京都カスタマイズの作品
「西陣織の金箔を使ったランプ」

 5 年目以降はかなり違った展開になり、お寺でイベントをすることが多くなりました。写真はツトム・ヤマシタという音楽家ですけれども、この方とのコラボレーションを進めました(写真13)。ツトム・ヤマシタは、70 年代の我々のヒーローでして、いわゆるフュージョン、ジャズ、ロック、クラシックを混ぜたような分野で非常に活躍した人で、ミック・ジャガーやポール・マッカートニーとかいったアーティストとも親しいんです。彼は「GO」というスーパーグループを作られまして、これは元サンタナのマイケル・シュリーブとか、それからスティーブ・ウィンウッドそのあたりと一緒に作られたグループですが、レコードは世界的に大ヒットました。ところがそういう世界に嫌気がさして、京都の人なので京都に帰ってこられて、究極の音を探求、それも禅の修行をしながらそういう音を探求されたんですね。それで行きついたのが、写真に写っている黒い石です。これはサヌカイトという四国でしか採れない石なんですね。その石をソニーの技術者と一緒に楽器に加工し、それでスピリチュアルな禅的な音楽を演奏している方なんです。
ツトム・ヤマシタ

写真13:ツトム・ヤマシタ氏
世界的アーティストである氏は
究極の音を求め、鉱石サヌカイトを
加工した楽器で禅的な音楽を
演奏している。

 ツトム・ヤマシタと私が知り合うことができまして、彼も宇宙に非常に興味があって宇宙の話で盛り上がりました。そこで「村山くん、それじゃ、音楽と伝統産業を何かミックスするようなことをしていかないか」ということになりました。その後、革新塾のメンバーも一緒に入っていただき、プロジェクトを進めました。何をやったかと言いますと、音を使った染め物を作りました。これが後ろにかかっている染物です(写真14)。
これはサヌカイトの波動を写し取った染め物なんです。石の波動で染めている全く人の作為がないものです。こういう形でツトム・ヤマシタと組んで「音禅法要」という法要を大徳寺で3 年間やりました。
ツトム・ヤマシタとの共同作品

写真14:サヌカイトの波動を
写し取った染め物。ツトム・
アマシタ氏との共同作品。

 それではなぜツトム・ヤマシタと組んだかということなんですけれども、これは、先ほどの河村先生の話と一緒です。精神性なんです。「革新塾」をこの10 年間やってきて、一番京都の伝統産業から欠けていると思ったのが、この精神性なんです。感動するというそういう気持ちです。伝統産業はどれも美しいし、みんなきれいだな、素晴らしいなということは言います。ところが心にグッとくるものが今、無くなってきているのです。だから、そこをなんとかさせたいということで、こういうことを始めました。精神性の復活は、伝統産業内だけでやるのは無理で、ツトム・ヤマシタのようなアーティストと組まなくてはだめということで、こういう活動を始めました。
次の写真はワシントンD.C. ですが(写真15)、これは、私がこの期間にワシントンD.C. のシンクタンクで働いていたということだけなのですが、これも何かの御縁か、先ほど河村先生がワシントンD.C. で講演されたと言っておられました。私がここで言いたいことは、私は海外にいても塾生が自分で動くことができる、そういう世界ができ始めていまして、実はこの間にこの写真(写真16)のようなことやってくれました。この写真は妙心寺の襖を先ほどの染物をデジタル化して製作したものです。この写真は正面中心ですが、三面がこの襖に囲まれています。ここで座禅を組まれているんですね。そしたらこれが、本当に色々なものに見えてくるということです。だから禅のお坊さんに非常に評判の良い、そういう空間になっています。これは残念ながら非公開なんですけど、こういうものが製作されました。
ワシントンD.C.

写真15:河村先生が講演を行った
ワシントンD.C.。塾生が世界へ
羽ばたきだした、その象徴と言える。

デジタル化した染物を写し込んだ襖

写真16:妙心寺の襖。
デジタル化した染物を
襖に写し込んでいる。

 花の御所、寒梅館の南に大聖寺というお寺があります。これは尼門跡では全国で一番上にくる門跡さんです。天皇陛下が来られた時、よくここに立ち寄られるということです。ここで虚空会という会の秋のイベントがありまして、詩人の高橋睦夫さんが三島由紀夫の話をされたり、他の方もスピリチュアルな話をされたんですけれど、その中で私が伝統産業と禅、スピリチュアリティ、そういった話をしました(スライド17)。このようなイベントを通じて、失われた精神性を伝統産業に入れていきたいということで、活動を展開しました。
伝統産業と禅について話される村山教授

写真17:伝統産業と禅、
スピリチュアリティについて
スピーチされる村山教授。

 ここまで「革新塾」の10 年間を、本当に駆け足で見てきたんですけれども、今から考えてみると大きく分けて3つやってきたという感じがするんですね。一つはパリに代表されるグローバル展開です。二つ目が宇宙。宇宙と伝統産業を結びつけるというこれも突拍子もないことですね。三つ目は禅、スピリチュアルと伝統産業、この中に塾生を巻き込んで活動してきた、というのが「革新塾」がやってきたことなんです。もちろんその中からいろいろな製品が生まれたのですが、それはあえて今日はお見せしませんでした。それよりも今日は考え方のようなところを話したかったんです。今まで伝統産業というのは本当に狭いところに閉じこもってやってきました。職人さんというのは工房で一日ひとりで仕事やってる、そういう生活だったんですね。そういうところから解放して、もっと新しい何か前向きな世界を見せてあげたかった。それがパリであるし、それが宇宙であるし、それが禅だったわけですね。そういうところに職人さんを巻き込むことによって、何か新しいアイデアを与えて、その中から新しいもの作ってもらいたい。そういう形でこの活動をやってきました。これがこの10 年間でした。だから、ちょっと普通にやっている伝統産業の活性化プロジェクトと違った試みだったと思います。 
 そこで、この10 年間を踏まえて、あと2、3加えて話をしたいのですが、ひとつは個人的な話になります。そもそもなんでこんなことをやり始めたかということです。
私はビジネススクールで教えておりまして、もともとの専門は、経済安全保障というちょっと変わった分野です。ところが、この10 年間、伝統産業の活性化の仕事をやってきた。なんでなんですかとよく聞かれるわけですね。実は、親父が西陣織の会社に勤めておりまして、おじいちゃんと母親が西陣織を家で織っていた、私はそういう家に育ったんです。それで私も大学の時は西陣織を継ごうと思っていました。ところがなぜか、今こういうところにいますように大学で教える学者になってしまいました。それはなぜかといいますと、一つは勉強の方が面白くなったということもありますが、もう一つはやっぱり家業の西陣織というのが嫌だったんですね。母親を見ていても、父親を見ていても、いつも疲れてるような、そんな感じだったんです。そのようなこともあって、勉強の方が輝いて見え、大学卒業後にアメリカに留学して、猛勉強しました。帰国後、野村総合研究所に勤め、その後、2 - 3 の大学を渡り歩いて、10 年少し前に同志社でビジネススクールができたことを機会に、京都に戻ってきました、そして、京都に帰ってきて機会があって伝統産業の状態を見てみると、あまりにも悲惨な状況だったんです。衰退産業となっており、友禅染なんかはマーケット自体が20 分の1 になっている。これは何とかしなければいけないということで、大学に勤める者として何ができるのか、ということを考えました。そして、やり始めたのが、この「伝統産業グローバル革新塾」です。ともかく、やる気のある職人さんと経営者を集めて、革新的な試みをやって業界を元気にさせたい、いうことで始めました。これは非常に個人的な話なのですけども、「革新塾」の裏には、家業が西陣織という、私のルーツがあるということです。
 2 つ目が最高の3 日間。これはパリの3 日間の話です。これはこんなに素晴らしい時を過ごせたというのが私の宝物になっているという話です。パリでは、本当に素晴らしい時間が過ごせました。先ほど言いましたように、3 日間で400人余りの方に来ていただいて、それで夜のパーティもやりました。その時は京都の割烹でパリに進出している方、これも若手の職人さんですけれども、わざわざ店を休んで来ていただいて料理を提供してもらった。それからお酒のほうでも京都の酒造メーカーが、これもパリの支店長さんが来ていただいてお酒を振舞ってもらった。そこにパリの著名人、ルーブル博物館の人だとかいろんな人が集まって、本当に素晴らしい時間が過ごせたんです。
 それでなぜこのような素晴らしいことができたのかを後で考えてみましたが、一つは塾生のやる気が一番高まった時ということなんですね。1年少し経って、とにかくどこか海外でやりたい、そういう気持ちが一つになって、一つの方向に向かって動き始めた。その時にパリという最高の舞台が用意された。最高の組み合わせだったんです。そのために本当にみんな一生懸命やりました。それも一人でやるんではなくて、みんなが一緒にやりました。実は準備をしているときはたいへんだったんですね。展示品と販売品を分け、税関を通すために材料だとか重さだとかを書き込んで梱包しなければならなかった。その時に1 人の職人さんが言ったのは「だいたい1 人だとこの辺でやめてしまいますよね。みんなでワイワイやりながらやるから越えられるけれども、一人だったらこんなものやってられない」と。そういう、ともかく全員が一丸となってできたのでここまで素晴らしいものができた。これはもう参加した全員の宝物になっていると思います。いまだに会ったら「パリはよかったね」と言う話はします。ほんとにこの塾をやって良かった、と思うのは、こんなに素晴らしい3日間を過ごせたということです。本当に嬉しかったです。
 それから3 つ目ですけれども、新世代の台頭という話です。パリの後は、ある意味、革新塾がバラバラになっていきます。一つのことをみんなでできなくなってゆきました。一つのことをやろうとして話し始めると最後は喧嘩になったりするんです。なぜかというと、みんなが、それぞれが進むべき道が分かり始めてきたのです。だから、個人がある方向に向かって行こうとすると、他とは合わなくなってくる。ロックグループなんかでも、よく解散したりしますよね。それと同じ話で、才能がだんだんだんだん開花して各個人が出てきたら一緒にできなくなる。そういうことが起こり始めました。
 それから新しい世代の人が入ってきました。20 代、30 代の人が入ってきて、またこれが違う世界ですね。私なんかが全然知らない世代の人が入ってきてクールジャパン系の話をする。ゴスロリとか言葉さえ良くわからない、そういった人が入ってきました。それでも私はそういう人に、私の考え方を強要しませんでした。みんな自由にやってください。もう少し厳しくやったほうがいいんじゃないですか、先生は優しすぎますよ、とよく言われました。私はこういう形で自由にやってもらうのが、人を伸ばす一番いい方法だと考えてきました。これは強制して教えるというのは、強制して教えると自分を超えないんです。私を超えられないんです。私の知識しか伝わらないから、それ以上、越えられないわけですね。ところがこういう形で塾生の自由を重視しながら教えると、その中に私の考えていることを超える人が必ず出てくる。これが社会の発展につながると思うんですね。私の教育の基本中の基本はこれでして、自分を超える人を育てるのが教育だと思ってるんです。そういうことから次世代の台頭、それからそれぞれの道を歩くことを、私は大いに歓迎したということです。
 これが最後です。この10 年、次の10 年という話です。この10 年「革新塾」をやってきて非常に嬉しいことが一つあります。それは伝統産業を取り巻く環境が変わったということです。10 年前の京都の伝統産業に未来はありませんでした。みんな非常に暗くて、もう本当にどうしたらいいか分からないような状態だったんです。海外展開もツテがありませんし、職人さんも本当に出口がわからない、そういう感じだったんです。ところが今はどうでしょうか。テレビを見ていても、職人さんを取り上げる番組が非常に多いですよね。それから伝統産業の話をテレビで取り上げたりするし、いろんなところでメディアが伝統産業・文化というものを取り上げ始めている。また、我々がやってきた「伝統産業グローバル革新塾」のような試みも、今、全国でやっていますね。若い人達が出てきて、なんとか世界に向けて製品をアピールしてゆこうとしています。これが、ここ10 年間の大きな変化で、嬉しかったことなんです。我々が一番最初とは言いませんが、先鞭をつけてやってきて、その後でこういう新しい動きが出てきた。この10 年を経て、伝統産業に光が射してきたのです。でもまだ楽観視してもいいという状態ではありません。まだまだこれから次の世代の人が努力しないと伝統産業というのは衰退してゆくかもしれません。こういう背景もあってこのイベントを企画したわけです。私が今までの10 年の話をし、次のパネルディスカッションで30 代の職人さん、経営者に集まっていただいて、次の10 年を語っていただく。乞うご期待です。
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