修了生インタビュー vol.13
DBSで養った「学び続ける姿勢」で持続的成長を目指す
1. 経歴
佐々木 陽平 さん
(旧社名:パナソニックセミコンダクターソリューションズ株式会社)
レーザ&GaNテクノロジービジネスグループ マーケティング部
シニアマネージャー
私は工学系の大学院を卒業し、パナソニックの半導体事業部門(現ヌヴォトンテクノロジージャパン) にエンジニアとして入社しました。そこで約10年間、半導体デバイスの商品開発に携わり、その後、営業・マーケティング部門に異動しました。現在は化合物半導体、レーザーダイオードの市場調査、事業戦略立案、新規アプリケーション・顧客開拓などに取り組んでいます。
2. DBSに入学した理由
同志社大学大学院ビジネス研究科(以下DBS)に入学する前年まで、ドイツに駐在し、ヨーロッパ市場での半導体のマーケティングを担当していました。約5年半の駐在期間における顧客や同僚との交流の中で、自分のマーケティングやビジネス全般に関する理解が十分ではないと感じる場面が多々あり、そのギャップを埋めビジネスパーソンとして成長するためには経営学を体系的に学ぶ必要があると考え、帰国後にDBSへの入学を決めました。
DBSを選んだ最大の理由は、京都という地域に根差した独自のビジネス感覚に触れることができるカリキュラムに魅力を感じたからです。京都は伝統的な文化と革新が融合している土地であり、この環境の中で学ぶことで、長期的視点でのビジネスの在り方や戦略的思考を養うことができるのではないかと考えました。
3. DBSでの学び
DBSでの学びは、日々の業務のあらゆる場面で活かされています。ビジネスは総力戦であり、経営戦略、マーケティングだけでなく、イノベーション、財務・会計、さらには組織論など、さまざまな知識を駆使し最適解を導き出す必要があります。実務では限られた情報を基に迅速に判断を下さねばならない場面が頻繁に訪れ、その一つ一つの判断を的確に行うことがビジネス成功の鍵となりますが、その判断の基盤としてDBSで培った知識・論理的思考が役立っています。
近年、ビジネスの世界では「コストパフォーマンス」や「タイムパフォーマンス」など短期的な成果が重視されがちです。しかし企業が真に持続可能な成長を遂げるためには、短期的な利益だけでなく長期的な視点で事業を見渡す力が不可欠です。京都には革新的な企業が多く立地している一方で長い歴史を持つ伝統産業も数多く存在しています。DBSで京都特有のビジネスの実例・取り組みに触れることで、長期的な視野のもとで持続可能なビジネスを追求する意識を高めました。また、多くのビジネスは政治や経済、社会情勢、歴史的文脈そして文化にも影響されており、広範な視点から世界を理解することが求められます。DBSでの学びを通じて事象を分解または統合して構造化する技術と大局的視点を身につけ、世の中の変化やトレンドを理解した上で、ビジネスに応用することができるようになりました。
さらに修士論文に相当するソリューションレポート(SR)の執筆は私にとって非常に貴重な経験でした。先生の熱心な指導のもと、自分の問題意識と向き合い、ゼミ生たちと切磋琢磨する中で、さまざまな経営理論への理解を深めることができました。また、SR執筆を通じて自身の課題を見直し、その課題に対して深く考え続けることで、思考の軸が鍛えられ、より深い洞察力と問題解決能力を身に付けることができたと感じています。
4. DBSでの学びを今後どのように活かしたいか
DBSで培った知識や理論、そして考え方を、今後も積極的に実務に活用し、社会生活の向上に少しでも寄与したいと考えています。DBSでの学びは私の知的好奇心を刺激するものであり、それを追究することで、これまで持ち得ていなかった「新しい視野」を得られたのは非常に有意義でした。会社での業務と学業の両立という困難も、学びの楽しさがあったからこそ乗り越えることができたと思います。今後もDBSで得た知識を日々の取り組みに活かしつつ、培った「学び続ける姿勢」を維持し、自分の好奇心に従って疑問を追求しながら知識を深めていきたいです。
5. どんな人に入学してほしいか
ビジネスに興味のある全ての方にお勧めします。経営学の研究者は過去に実業界で発生した事象を分析して書籍や論文にまとめており、それらを体系的に学べるのがビジネススクールです。そして学んだ内容を抽象化すると自分の周りで発生している事象に適用できることが多いと実感しています。同じ志を持った熱意のある仲間と一緒に、同志社の建学の精神である良心教育の下で先人の知恵を体系的に学ぶことは、一生の財産になります。何か少しでもDBSに興味を持たれた方は、まずは公開授業やオープンスクールに参加されることをお勧めします。
※本記事の内容、肩書き等は2024年10月時点のものです。
(取材 同志社学生新聞局)