修了生インタビュー vol.27
DBSが育む中小企業経営者の知識と実践力
有田みかんの生産から加工・販売までを担い6次産業化を進める早和果樹園、紫外線で瞬時に硬化するUV硬化型アクリル樹脂の分野でトップクラスのシェアを誇る新中村化学工業、高圧ポンプ・高圧洗浄機の専門メーカーとして70年以上の歴史を持つ中央工業。3社の経営者には一つの共通点があります。それは、同志社大学大学院ビジネス研究科(以下、DBS)の修了生であるということです。
今回は、和歌山県有田市にある早和果樹園本社にて、早和果樹園の秋竹 俊伸社長(17期生)、新中村化学工業の中村 謙介社長(19期生)、MOTコースで入学された中央工業の浦 嵯希里取締役(14期生)にDBSでの学びや魅力について語っていただきました。
ご経歴

左から、中村さん(19期)、浦さん(14期)、秋竹さん(17期)
秋竹 俊伸 さん (写真 右)
株式会社早和果樹園代表取締役社長。和歌山県有田市出身。高校卒業後、農林水産省果樹試験場興津支場(現・農研機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点)で2年間みかん栽培を学んだ後、1996年に就農。2000年、出荷母体である早和共選組合の法人化に伴い同社に入社し、専業農家として有田みかんの栽培に従事。2004年より加工品事業に参入し、みかん農業に加え、製造・販売を含む食品事業の拡大に取り組む。2009年に総務部長、のちに取締役専務を経て、2017年9月に代表取締役社長就任。DBS2020年入学、2022年修了(17期)。
中村 謙介 さん (写真 左)
新中村化学工業株式会社 代表取締役社長。創業家三代目。2009年9月より現職。祖父が1938年に創業、父が二代目として経営を担った同社を継承し、アクリル樹脂の差別化戦略と国内外の事業拡大、新製品開発に注力。地域では和歌山商工会議所化学工業部会長として産業振興に貢献。DBS2022年入学、2024年修了(19期)。
浦 嵯希里 さん (写真 中)
中央工業株式会社取締役。同志社大学理工学部化学システム創成工学科卒業後、理工学研究科へ進学。在学中にMOT(技術経営)コースを通じDBSに転入し、大学院修了後は一般企業に勤務。2022年に和歌山県の家業である中央工業に入社。高圧プランジャーポンプの製造・販売を担い、水産業・船舶・食品加工など幅広い分野で事業展開を進めている。DBS 2018年転入、2019年修了(14期)。
1. 皆さんがDBSに入学されたきっかけを教えてください
- 秋竹 さん
- 2017年に2代目社長に就任したことが大きいです。私は大卒ではなく、30歳を過ぎるまでの約10年間はみかん農家として働きました。その後、法人化し、会社が6次産業として忙しくなってきてからは、総務担当という形で会社を支えていました。そのため社長に就任した際には、会社全体の動きは把握できていたものの、販売や経営戦略については本格的に学んだ経験がありませんでした。ちょうどそのころ、先輩経営者から「経営を学ぶと全く違うぞ」と声をかけられ、私も基礎から経営を学ぶ必要があると強く感じ、DBSに進学することを決めました。

- 中村 さん
- 私がDBSに入学したきっかけは、心の奥底に「経営をもっと良くしたい」という思いがあったからです。社長に就任してから10年ほど経った頃、実務経験だけでは経営に限界があるのではないかと感じ始めました。私たちの会社の本質は、新しい素材で他社にない価値をつくることです。ただ、イノベーションは人が起こすものであり、目標設定やマネジメントが当然必要になります。そのため、組織マネジメントやイノベーションの本質的理解、成果をどう上げるかという管理会計的な内容を学ぶ必要がありました。また、会社は毎年目標を立てますが、その立て方は我流で、いつも同じような目標設定になっていました。このようなことから「経営をもっと良くしたい」という思いを実現するためには、日々の実務で培う経験だけでなく、経営に関する専門的な知識を体系的に学ぶことが必要だと考え、DBSを受験しました。進学の選択肢としては他のビジネススクールもありましたが、最終的にDBSを選んだのは、私が大阪に住んでおり、大阪サテライトキャンパスがあることが非常に大きな決め手となりました。
2. 浦さんはMOTコースでの転入学だと伺いました。MOTコースの簡単な説明と入学のきっかけを教えていただけますか?

- 浦 さん
- MOTコースは、同志社大学の理工学研究科とビジネス研究科の修士の両方を取得できるダブルディグリー制度です。理工学研究科の2年間に1年を加え、合計で3年間学ぶコースで、学部生の間ではほとんど知られていない制度でした。私自身も当初はその存在を知りませんでしたが、大学院の入学式当日にたまたまDBSの説明会があり、そこでこのダブルディグリー制度を知りました。ちょうどその頃、理系の研究に没頭する一方で、理系の研究だけでは得られない視点を身につける必要性を強く感じていました。そうした思いが後押しとなり、DBSへの進学を決意しました。
3. DBSでは具体的にどのようなことを学ばれましたか?
- 秋竹 さん
- 私はファイナンスの分野を中心に学びました。「経営を学びたい」という思いでDBSに入学しましたが、経営とは一口に言っても経営戦略やマーケティングなど非常に幅広いということに、入学後に初めて気づきました。なかでも、ファイナンスだけは全く学んだことがありませんでした。そのため「せっかく経営を学ぶなら、ファイナンスは徹底的に学ぼう」と決め、関連する授業はほとんど受講しました。また、ゼミでは管理会計の分野を選びました。財務会計のような過去会計とは異なり、管理会計は将来の経営計画を立てる力につながります。今振り返っても、この選択は本当に良かったと思います。
- 中村 さん
- 私たちの会社は化学の分野で、普及が10年以上先になるような技術の開発に日常的に取り組んでいます. そのため、「イノベーションによっていかに他社と違いを生み出すか」という点に非常に 関心を持っていました。そこで、DBSでは、イノベーションを専門とする森良弘先生のゼミに所属し、普及理論やキャズムの考え方、コア・コンピタンス(中核的能力)を定義し育成する考え方などを学びました。授業を通じ、これまで現場感覚でぼんやり理解していたことの多くが経営学の理論としても確立されているということを知りました。
- 浦 さん
- 印象に残っている授業のひとつに、森先生の前任であり、退官された北寿郎先生のイノベーションの授業があります。私はそれまで、イノベーションとは「ゼロからイチを生み出すこと」や「新しい製品をつくること」だと考えていました。実際、3代目社長である父も研究者として次々新しいものを生み出してきた人物でした。ところが授業では、「イノベーションとは異なる要素の掛け合わせによって生まれるものだ」と学びました。新しい製品を開発しても、現代では必ずしも市場で受け入れられるとは限りません。だからこそ、「新製品の開発だけにとどまらず、販路を変えることや異なる要素を組み合わせるといったアプローチもイノベーションなんだ」。このことに北先生の言葉から気づき、発想を転換することができました。
4. DBS入学前と入学後で、どのような変化がありましたか?

- 秋竹 さん
- 経営の「土台」がしっかりできたことが大きかったです。私はよく、「家を建てるなら、まずは杭を打って土台を固めないと、きちんとした家は建たない」と話しています。まさにDBSでの学びが、私にとって経営の土台づくりでした。私は2017年頃から経営に携わり始め、その3年後の2020年にDBSに入学しました。そこで経営の基礎を学んだことで、過去の意思決定を「答え合わせ」でき、「あのときの判断は間違っていなかったんだ」と思えたことが、大きな自信につながりました。
- 中村 さん
- 秋竹さんもおっしゃっていたように、私自身もこれまで、経験や勘に頼り、学問的な土台のないまま下してきた経営判断も少なくありませんでした。しかし、経験値だけでは限界があります。DBSで理論的な土台をしっかりと学んだことで、これまでのやり方を自信をもって実行できるようになりました。具体的には、経営計画を学術的な裏付けのある手法で策定できるようになりました。自分の中でしっかりと腹落ちした状態で経営計画を全社展開できるようになったことは、大きな変化でした。
- 秋竹 さん
- 今振り返れば、入学前は基礎がなかったから、きっと判断がブレブレだったのだと思います。創業者、つまり初代社長も、私と二人で農業をしていた普通のおじさんでした。経営の勉強なんてしたことがなく、「加工品を作ったら売れる、じゃあもっと作ろう。売れたらさらに作ろう」という感覚で働いていました。製品がどんどん売れて、人手が足りなくなれば人を雇う。でも、そんな状態で会社を経営するのは、やはり怖いことでした。責任だけがどんどん大きくなるのに、自分の土台が定まっていない。だからこそ、DBSで基礎を身につけ、ぶれなくなったことは大きな意味がありました。
5. 浦さんは実務経験を経ず直接DBSに入学されました。その点はいかがでしょうか?
- 浦 さん
- はい、私はお二人とは異なり、実務経験のないまま学部卒業後すぐにDBSに入学しました。授業では自分が最年少で、周囲には社会的地位の高い方々が多く、当初は不安や戸惑いもありました。しかし、家業に入ってからは、得意先の社長や銀行関係者など、さまざまな立場の方々と接する機会が増えました。そのような中で、学生時代にDBSで培った、立場や価値観の異なる相手と臆せずコミュニケーションを取る力は、現在の実務においても非常に役に立っています。

そして何より大きかったのは、「ご縁」ができたことです。今でも何か困ったことがあれば、「この件はDBSの〇〇さんに相談しよう」と思える方がいます。普段は頻繁に連絡を取らなくても、いざというときにはすぐに相談に乗ってくださる。そんな方々がたくさんいらっしゃることは、私にとって何よりの財産です。 またDBSにはシニアアシスタント制度(修了生が無償で授業に参加できるフォローアップ制度)があります。私もそれを利用して授業に参加していて、そのときに秋竹さんと出会いました。また、在学中に受講していたマクロ経済分析の授業では、担当の先生が修了後も毎年特別講義を開いてくださっており、その授業にいらっしゃったのが中村さんでした。在学中だけでなく、修了後もこうして人と人のつながりが広がっていくのだと、改めて実感しました。
後編
前編に続き、和歌山県有田市にある早和果樹園本社にて、早和果樹園の秋竹 俊伸社長(17期生)、新中村化学工業の中村 謙介社長(19期生)、MOTコースで入学された中央工業の浦 嵯希里取締役(14期生)にDBSでの学びや魅力について語っていただきました。
6. 今後のビジョンをお聞かせください

左から、秋竹さん(17期)、浦さん(14期)、中村さん(19期)
- 秋竹 さん
- 私たちの会社のビジョンは、創業以来一貫して「有田みかんの価値を上げる」ことです。有田みかんの魅力を全国に発信し、地域の発展に貢献することを目指して、これまで事業を展開してきました。この基本方針は、今も変わっていません。そして、このビジョンを実現するためには、事業規模の拡大が重要だと考えています。新たに人材を雇用したり、事業領域を広げたりすることは、有田みかん全体のブランド価値を押し上げる力になります。つまり、自社の成長がそのまま地域の活性化につながるのです。一方で、事業の規模が大きくなるほど、経営戦略やマーケティングの重要性も高まります。状況に応じて適切な意思決定を行うためには、専門的な経営知識が不可欠です。そうした課題に対応するためにも、DBSで得た知識や経験を、今後の経営にしっかりと生かしていきたいと考えています。
- 中村 さん
- 今後15年をかけて、日本・中国・アメリカ・ヨーロッパの4地域それぞれに、開発・生産・販売の機能をバランスよく整備し、各地域のニーズに応えられる体制を構築したいと考えています。当社の基本戦略は「ファイン・ニッチ・グローバル」という考え方です。まず精密さや高機能性を追求する“ファイン化”を進め、次に大手企業が参入しづらいニッチ市場を狙い、さらにそのニッチ市場への製品やサービスを世界に展開していくという戦略です。この戦略を実現するためには、日本国内での高付加価値製品の開発体制を維持しつつ、供給体制を海外に構築することが重要です。実際に、当社は約20年前に中国に現地法人を設立し、現在ではハイテク市場向けの新工場を増設するまでになりました。また、今年はアメリカに販売会社を設立し、将来的には現地に工場を建設する計画も進めています。さらに長期的には、ケミカル産業が盛んなドイツを中心にEU圏へも拠点展開を図る予定です。

- 浦 さん
- より多くの方に当社と製品の存在を知っていただきたいです。近年、安価で使い捨ての製品が市場に出回り、短期間で廃棄されるケースが増えています。使い捨てであるということは、製造時に投入されたエネルギーが無駄なものとなり、製造・廃棄の過程で過剰な温室効果ガスを発生させ、世界的な温暖化を加速してしまいます。温暖化の影響は深刻で、例えば冷水を好むホタテが斃死するなど生態系への深刻な打撃につながっています。これに対し、当社のポンプは「中央のポンプで大切な海を守ろう」という理念のもと、長く使えることを大きな特徴としています。お客様からも「長持ちし愛着をもって使える」「環境負荷を減らす製品だ」と高く評価いただいています。国内はもちろん、間接輸出を通じて海外のお客様にも活用されています。だからこそ、わが社や製品の存在を、より多くの方に知っていただき、選んでいただくことで、エネルギーや資源の無駄を減らし、地球環境の保全に少しでも貢献したいと考えています。
7. 地方企業の経営者がMBAを取得することは、今後ますます重要になっていくとお考えでしょうか?

- 秋竹 さん
- 地方にある企業こそ「学び」が非常に重要だと考えています。特に私たちが拠点を置く和歌山県有田のような地域では、大阪や東京のような都市部と比べて学習の機会が圧倒的に少ないという現実があります。たとえば、大阪で開催されるセミナーや講習に参加する場合でも、宿泊が必要になることが多く、移動時間や交通費・宿泊費といったコストが大きな負担になります。また、和歌山県は農業県でありながら農学部が存在せず、地域の実情に即した学びの場が不足しています。つまり、和歌山には「勉強したくてもさせてもらえない土壌」があるのです。だからこそ、地方である和歌山を盛り上げるためには、MBAに限らず、学習できる環境をつくることや、少なくとも、「ちょっと勉強しに出かけてみてもいいかな」と思えるような、「学びに行きやすい雰囲気」をつくることが重要です 。私自身、DBSでMBAを取得したことで、「地方の中小企業の経営者でも学べる」という実例を示すことができました。実際、私の姿を見て大学進学を決意した経営者もいます。そして、MBAは、地方の中小企業の経営者にとって、非常に価値があると感じています。経営を本気で学びたいという意欲があるなら、迷わず飛び込んでほしい。私自身が、「地方でも、学べば会社が強くなる」という一つのモデルケースになれればと願っています。
- 中村 さん
- 和歌山県の若者の県外流出は全国でもワーストクラスです。地元で働きながら学び、その学びを仕事に生かして成果を出すという循環が重要です。そのためにはまず、地域経済そのものを良くすることが不可欠です。そして、地域経済を支えるには、適切な経営判断や戦略立案ができる人材の存在が鍵となります。それゆえに、もし県内にMBAができれば、県の発展にもつながると思います。ただ、県としてもこの課題は意識しているものの、まだ十分に対応できていない部分があります。秋竹さんたちと一緒に、地元に学びの環境をつくる取り組みができればと考えています。
- 浦 さん
- 私は小さい頃から、親に「田舎の学問より京の昼寝」とよく言われてきました。この言葉は、勉強だけではなく、文化的な教養もしっかり身につけてほしいという意味です。そのような価値観のもとで育ったこともあり、一度も和歌山を出たことがない人が、「地元にMBAができたから」といって、そこに通うだけで、本当に深い学びが得られるのかという点には、少し疑問があります。県内で学べる場があることももちろん大切ですが、外に出た経験があるかどうかで学びの質も変わるのではないでしょうか。そして、単に外に出るといっても、DBSには京都という土地だからこそ得られる文化的な刺激や、多様な人との出会いがあり、それが学びの質を大きく高めていると強く感じました。
- 秋竹 さん
- 私も「京都だから行きたい」という気持ちがありました。京都だからこそ学びたいと思わせる魅力が確かにあると感じます。和歌山の人にとって、めったに行かない特別な場所である京都で学ぶことは、大阪の大学に行くのとは感覚が違います。京都で学べるというだけで、「いい感じやな」と思わせる力がありますね。
- 中村 さん
- 京都は日本でも特別な場所で、海外からも多くの人が訪れます。だからこそ人が集まりやすく、その結果、学びの質も自然と担保されるのだと思います。
※本記事の内容、肩書き等は2025年7月時点のものです。
(取材 同志社学生新聞局)